爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

人間の欲望とは何か。

本題に入る前に言い訳ですが。

こういった深い思索を必要とするような問題を考えるというのは、私の場合「歩きながら」ということが多いのですが、去年夏あたりから足の具合が悪くなり、あまり散歩にも出られなくなりました。

そのためか、ゆっくりと思索にふけるということが少なくなり、自然とこのブログの内容もニュースの論評などが多くなってしまったようです。

ところが、たまたまですが図書館に行くのに歩いて行かざるを得ない事態となり久しぶりに往復30分かけて歩くことになりました。

(田舎の裏道で車も少なくボーッと考えながら歩いても危険はありません)

そこで頭によぎったのが以下の内容です。

 

人間の欲望、食欲とか性欲、金銭欲、名誉欲など、あまり良いものとは捉えられないかもしれませんが、それが無い人はまずいないでしょう。

仏教を始め主な宗教でも欲望からの離脱というのが大きな問題となっているのも、それがいかに人間にとって難しいかを表わしているとも言えそうです。

まあ、宗教指導者と言われる人ほど欲望の塊と言う場合もありますが。

 

さて、そのような欲望ですが、どうやらかなり本能に基づくものであり、動物としての人間の本性によるもののようです。

 

食欲というものが最も基本的なものでその性格を表わしていますが、「生存するため」に必要であるからこそ「食べたい」という食欲が出るわけであり、「生存欲」とも言えるものです。

ただし人間社会が高度化し食べるだけでは生きていけないとなると「金銭欲」や「名誉欲」「出世欲」といったものも形を表わしてきます。

とはいえ、やはり「より良く生きる」ために必要だと感じるからこそ、「金銭」「名誉」「出世」を求めるのでしょう。

 

その点、性欲というものは自らの生存とは関係ないもののように思います。

老後に子どもの世話になりたいから子どもを産もうと考えている人はまあそれほどはいないでしょう。

それではなぜ性欲があるかといえば、これは子孫繁栄を求める繁殖欲とも言うべきものなのでしょう。

遺伝子を考えていけば、その存在目的が自己複製だということも理解できます。

有機物質の分子である遺伝子は永久に存在することはできません。

しかし複製することでその情報は元の分子が劣化したとしても変わらずに残ることが期待されます。(遺伝子の変異が起きるために”変わらず”ではないのですが)

 

ここで少し引っかかるのが、「生存欲」と「繁殖欲」は本当に無関係かということです。

もしかしたら、「繁殖欲」が根源的なものであり、「生存欲」は繁殖するまでの間に命を長らえるために必要なだけなのでは。

子どもの養育ということが不要な動物の場合は(魚など)卵を産みそれに精液を掛けるところで命が尽き死んでいくという一生を送ります。

繁殖のみが究極の目的で生存はそれに至るまでの期間が必要だからというだけのようにも見えます。

 

金銭欲も出世欲も、それを果たせば子孫を残せる可能性が増えるからとも言えそうです。

 

それではそれほど重要な意味のある子孫繁栄を求めない人々が増えてきたのはなぜか。

子どもを作らない夫婦、さらに結婚すらしない人々、もはや生存の必要性もないのか。

それは個人の自由だと言われ、それが許される時代になったから表面化してきたとも考えられます。

しかしその裏に何か隠されているものが無いか。

宗教家ならそれが神の定めた道だと言うかもしれませんが。

科学者ならばやはり科学的な理論を当てはめなければならないのでしょう。

人類史上見たこともないような人口爆発のフィードバックなのか。

 

何の結論も、提言も、ほのめかしすら無いままですが終わりです。