歴史とはいっても、著者は国立遺伝研究所の教授で、DNAのゲノム情報からヒトの進化を考えるというのが専門ですから、そういった方向性の本です。
なお、この本は「岩波ジュニア新書」という、中高生が対象のシリーズに入っているものですが、その内容は非常に高度であると感じました。おそらく、かなり知識のある大人でも十分満足できるものではないかと思います。
まず最初に、「日本列島の範囲」というところから話が始まります。
単純に、現在の日本国の範囲などといった安易な方法はとらず、千島列島弧と樺太から、西南にはるか伸びる琉球列島弧までを日本列島とし、そこに住んでいたヒトを対象としています。
したがって、大きく分けて3つのグループ「ヤマト人」「オキナワ人」「アイヌ人」について語られています。
次に、歴史区分ですが通常の政治区分によるものとは異なるものを使います。
すなわち、政治中心地というものに大きくスポットをあて、1600年から現在までを「江戸東京時代」、その前の800年から1600年までを「平安京時代」(鎌倉時代は幕府は鎌倉であったものの、実質的中心地はやはり平安京であったという判断です)
その前の200年から800年までの600年間を「ヤマト時代」、そしてその前のBC1000年頃からAD200年頃までを「ハカタ時代」、それ以前はさすがに政治中心地というものは無かったとして、「ヤポネシア時代」としています。
「ハカタ時代」という考え方は非常に斬新なものと思いますし、妥当な考え方であろうと感じます。それがBC1000年からというのは長くて驚きますが。
なお、アイヌ人の列島北部、オキナワ人の列島南部はこれらの時代区分とはかなり異なるために、別に記述してあります。
北部では、ヤポネシア時代が長く続きアイヌ文化時代、そして中部より遅れて江戸東京時代、南部ではやはりヤポネシア時代が長く、1000年頃から「グスク時代」1500年頃から「琉球王国時代」そして1867年から「江戸東京時代」となります。
その後の章では江戸東京時代から始まって(時代を逆行させて説明していますが)ヤマト時代までは所々に斬新な記述はあるものの他書とそこまで違うとも言えないので略します。
ハカタ時代というのは面白い着想ですので少し引用します。
この本ではハカタ時代を3000年前に始まったものとしています。これは最新の研究で弥生時代の開始時期とされているものと同じ時点です。
そのような時代にハカタが政治中心であったと言えるかという問題はありますが、稲作というものが伝えられたのは九州北部であるのは確実であり、その後も長い間その地域が文化の最先端であったのも間違いないからということです。
福岡県糸島市の平原遺跡や、佐賀の吉野ケ里遺跡など、巨大な集落の遺跡も残っています。
水田耕作はその後徐々に日本列島各地に広がっていったものと見られます。そして、どうやら縄文式土器を使っていた土着の人々も渡来民と混血しながら水田を受け入れていった人も多かったようです。
近畿地方では九州北部より300年ほど後に水田が始まりました。他の地方も次々とそれに飲まれていき、関東地方ではかなり遅れて紀元前2世紀頃に始まったようです。
最後に、著者らが専門に研究しているDNA解析による日本列島への人間の渡来をモデル化したものが提唱されていますので、それを紹介しておきます。
このモデルは列島人形成には3段階の渡来があったものと考えています。
第1段階 約4万年前から4000年前まで
ユーラシア各地から多様な人びとが列島各地に渡来した。ただし、その人口はさほど多くはなかった。
第2段階 約4000年前から3000年前まで
朝鮮半島から列島中央部に渡来し、第1波渡来民と混血しながら徐々に広がっていった。ただし、列島北部・南部にまでは到達しなかった。
第3段階前半 約3000年前から1500年前まで
朝鮮半島から、第2波渡来民と若干異なる遺伝的要素を持つ人びとが、水田耕作技術を持って渡来。居住域を急速に拡大して人口を増やした。
第3段階後半 1500年前より現在まで
第3波渡来民が引き続き移住。それまで東北地方に住んでいた第1波渡来民の子孫は大部分が北海道に移った。第二波渡来民の子孫は東北地方へ。列島南部(琉球)にはグスク時代の前後に九州から第二波渡来民の子孫を中心に多数移住。
このように、従来の「二重構造説」と大枠では似ているものの新しい渡来民に若干の違いがあるとした点が特色があるということです。
最新の研究成果を基に、なかなか面白い見方を教えてくれました。
たまには普段は目にしない書棚を見てみる必要があるかもしれません。