爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

富士山の思い出、噴火の避難計画など騒がれていますが。

富士山噴火の際の避難で原則徒歩とするなどといった話が出ています。

news.yahoo.co.jp

まあ九州までは影響が来るとも思えないので、それとは関係なしに富士山に関する思い出話など書いてみます。

 

なお、これらのエピソードはこれまでにもあちこちに小出しに書いていますが、気にせずにまとめてみましょう。どうせこれまで書いたことなど覚えている人はいないでしょうから。

 

産まれたのが埼玉県浦和ですので、冬場などは富士山が見えていたのでしょうが、そこには2歳までしかいなかったので覚えはありません。

その後、名古屋、福岡と父の転勤に伴い転居ですが、そちらも富士山とは縁がありませんでした。

 

ようやく小学5年になる年に東京都三鷹に転居、その当時の三鷹はまだまだ畑もあちこちにあるような所で、所々から丹沢の上に小さく富士山が見えていました。

 

そこに1年ちょっと居た後に父が家を建てて神奈川県茅ケ崎に引っ越します。

ここから見る富士山は周りを圧倒するような存在感がありました。

街の中の至る所から見えるのですが、その頃はまだ家もそれほど建て込んでおらず、我が家の玄関を出ると西側に家の隙間から富士山が見えました。

そこから中学に通ったのですが、茅ヶ崎一中は海沿いの国道のすぐ脇にあり運動場からは富士山がくっきりと見えました。

また海岸に出ると砂浜からは伊豆半島から丹沢まで広々と見通せ、その中央に周りの山々を従えるように富士山が堂々とそびえ立っていました。

冬は確かに「砂まじりの茅ヶ崎」だったのですが、風も強い冬晴れの日の光景は神々しいほどのものでした。

茅ヶ崎海岸・ヘッドランドとその周辺

(自分で撮った写真を探したんですが、良いのがなかったので国交省関東地方整備局のHPから引用させて頂きました。おそらく実家から海へ出た周辺の海岸だと思います)

 

高校は藤沢の学校に進学するのですが、その学校は少し高い丘の上にあり、その上にさらに3階建ての校舎が経っていたのでその屋上からの光景は見事なものでした。

角度から言えば茅ヶ崎海岸からとそれほど変わらないのですが、高度が少し上がっただけでさらに山々の見え方もダイナミックになり、この一帯では一番の富士山ビューポイントではないかと思ったものです。

一応こちらも思春期でしたので、進路のことや人間関係など悩んだ折りには屋上から富士山を眺めるということもありました。

 

大学入学後は東京まで電車通学だったのですが、その東海道線の電車車窓からも富士山は各所から見えました。

茅ヶ崎駅出発すぐは車窓左手後方にかなり大きく見えます。

しかし徐々に後ろに下がっていきなかなか見づらくなるのですが、大船駅の先で北向きに進路が変わると左手正面に丹沢山塊の上に見えるようになります。

その後、横浜川崎のあたりではほとんど見えなくなるのですが、最後の富士山眺望が川崎から多摩川を渡る六郷橋周辺からで、当時はまだ大きなビルもなくて富士山がくっきりと見えたものです。

 

大学時代にはクラスメートたちと旅行に行く機会もあり、山梨の山中湖、静岡の戸田岬に行きました。

どちらも富士山眺望では見事なところです。

ちょうど南北反対側から見る角度になりますが。

湘南方面から見る富士山はかなり横に広がったどっしりとした風格を感じさせますが、南北から見ると細く尖ったように感じます。

それもまた一興といったところです。

 

大学卒業後、就職して九州に来てからは富士山は常日頃見ることはなくなりましたが、たまの帰省の時に飛行機の窓から見るという楽しみができました。

熊本羽田の路線では上り下りとも機体の左側に見ることができます。

上り便の場合静岡の浜名湖が見えるあたり、南アルプスが左側正面に見える頃からその前方に富士山が見えます。

ただしこの辺ではまだかなりの高度があり、かなり高い位置から見下ろすのですが、着陸に向けてどんどんと高度を下げていき、伊豆半島から伊豆大島に差しかかる辺りではもう富士山も横から見る感じになっていきます。

そこから房総半島を廻って着陸態勢に入ると左の窓から見た富士山は地上からとほぼ同じ角度になります。

下り便は羽田離陸後中央道の上空付近を飛ぶようで、やはり富士山は左側の下に見えます。

私はだいたい右側に座ることが多いので、あまり富士山を見ることはないのですが、何回かは火口をのぞくような見え方を楽しんだ覚えがあります。

 

30代の頃、研究所勤務の時に派遣されて前橋の財団法人研究所に3年ほど居たことがあります。

その研究所の所在地は「富士見村」でした。(現在は前橋市に合併)

富士見というからにはどこか富士山が見えるところがあるだろうと思い、付近を歩き回って見えるところを探しました。

そこは赤城山に少し登ったところで、山麓から頂上までが富士見村の範囲でした。

少し高いところまで足を延ばしてみると、ようやく南東方面の妙義山から秩父に連なる山並みの上に少しだけ富士山の頂上が見えるところがありました。

それでようやく「富士見村」の名が正確であることが確認できました。

なお、その後になってコンピュータプログラムで「カシミール」という山の眺望がシミュレーションできるものが出てきて、それを見ると確かにその角度で富士山の頂上が見えることが分かります。

しかし実地で自分の目で確認できたというのは格別の気持ちでした。

 

このところ東京方面に行くこともしばらく無くなり、富士山も見ていません。

いつも見ていると何も感じなくなりますが、全く見なくなると寂しい思いもあります。

本当に噴火するのかどうか、怖い気もしますが噴火するところを見てみたいとも思います。