爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

松橋事件再審の判決、予想通りの無罪

1985年に熊本県松橋町(まつばせ、と読みます)で起きた殺人事件で、有罪とされ懲役刑に処せられ刑期も終えた宮田弘喜さんが無実を訴えて再審請求した裁判の判決が降り、予想通り無罪となりました。

 

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宮田さんは最初の取り調べの段階では犯行を自供したものの、その後は一貫して否定していました。

しかし、捜査段階の自白調書を証拠として有罪判決とされました。

 

その後の弁護団の調査で自白の他の物証とされていた証拠がすべて事実と異なるということになり、再審の裁判では検察側の証拠は採用せず、検察も求刑も放棄するという、恥ずかしい状況となりました。

これでは無罪判決以外出せないということになり、その通りの判決となりました。

 

結局、最初の捜査段階で宮田さんを自白に誘導し、筋書き通りに自白させてしまったという、ずさんな捜査が行なわれたということです。

 

明治大正や戦前の昭和の時代ではありません。

昭和でももうすぐ平成になる寸前という時代に、このような捜査が行なわれ犯人に仕立て上げるようなことが行なわれていたといことです。

 

無罪を勝ち得た宮田さんは、かろうじて生命はあるもののすでに認知症が進み、話をすることもできなくなってしまいました。

 

冤罪で服役までした宮田さんが無罪を勝ち取ったのは当然といえば当然、喜ばしいことですが、冤罪事件が解決?するたびに感じるのは「では真犯人は誰だったのか」ということです。

作り上げた虚偽の自白調書で犯人としたことにこだわった警察と検察の体面のため、速やかな再捜査ということはできずにもはや真犯人の追求など不可能になりました。

 

冤罪は解消されたものの、事件自体はまったく不明のままとなってしまいました。

あといくつ、冤罪事件が残っているのでしょう。

そして、もうそれが起きる危険性は無くなったのでしょうか。