天使と言われて浮かぶイメージは背中に羽根のある子どもの姿でしょうか。
それを混同しているのもしかし仕方のないことかもしれません。
実はキリスト教の始まりの頃から天使とは何かについての論争が数多くされていました。
またイエス・キリスト自身も天使ではなかったかと言われた時期もありました。
そのような、「天使」というものについて、あれこれと書かれた本です。
キューピッドとは古代ギリシャではエロス、ローマではクピドとかアモルと呼ばれていて、女神アフロディーテの息子とされていました。
翼のある裸の少年か幼児と描かれており、キリスト教のエンジェルと似ています。
このようなイメージはキリスト教徒でも持っており、古代ローマの聖アウグスティヌスもそのような天使のイメージを語る言葉を残しています。
キリスト教の天使はユダヤ教から受け継いだものですが、ユダヤ教も一神教とは言いながらその成立時には周囲を多神教が取り巻いていましたので、そのようなものから影響を受けたのでしょうか。
しかし神の言葉を取り次ぐものとしての天使というものは不可欠な存在だったようです。
そして他ならぬイエス・キリストも神の言葉を話すため天使と扱う説もありました。
その後の三位一体説の正統化によりそういった説は異端として退けられましたが、キリスト教の中ではそのような解釈も許される余地がありました。
天使が楽器を持つというイメージも広くありますが、これも初期にはあり得なかったもののようです。
しかしルネサンスからバロックの時期になると古代ギリシャローマの感覚が取り入れられ、楽器を持つ天使の像が広く描かれるようになっていきます。
悪魔というものも元は天使だったと言われています。
「堕天使」が悪魔となるという認識があります。
天使で居れば良いのに何で堕ちて来るかと言うとやはり「人間の美女に迷って」のことです。
それほど女性の美貌は怖ろしいという説話のために作られたのかもしれません。
しかしこれも古代ギリシャ神話と重なるところがあります。
人間の美女に迷って多くの子どもを作るのはギリシャ神話の主神ゼウスですが、キリスト教の堕天使も多くの子どもを作って悪魔になっています。
これもギリシャ神話から取り入れられたものでしょうか。
もちろん、こういった事実もキリスト教の神学者には古くから知られていたことでした。
「神は死んだ」とまで言われますが、今でも「天使は死んでいない」ようです。
多くの小説や映画、絵画などに天使は数多く登場しており、神よりも人気が高いようです。
「天使の歌声」と言われる少年合唱団や、「天使のほほえみ」に擬せられる子供の顔など、天使の人気は衰えることがないようです。