今月初めのことですが、岸田首相が「同性婚を認めると社会が変わってしまう」と発言しました。
まだそれから一か月も経っていないのかという思いもしますが。
しかしそれと前後してとてつもなく愚かな首相補佐官がさらにひどい暴言を言っていたことが表ざたとなり、更迭問題となったりしている間に首相発言の方は皆の頭からは消え失せてしまったようです。
どう考えても、首相補佐官の発言より岸田の発言の方が奥底にある真意に大きな問題があり、その認識では首相としてばかりか、人間としても批判されるべきものを含んでいるように思います。
しつこいかもしれませんが、またこれを取り上げてみたいと思います。
①「社会は変わらないものなのか」
人間社会は狩猟採集を生業としていた時代にはほとんど変化も少なかったかもしれません。
しかし獲物などが少なくなったりすると大問題で場所を変えて探したり、狩猟法を変えたりと大きな変化が起きたのかもしれません。
しかしおよそ1万年ほど前に農業というものを始めて以来、人間社会はどんどんと変化していきました。
階層化が進み、王権が強くなり、氏族社会が生まれそして解体し、封建社会となり等々。
家というものの意味も変わり、血縁関係にある家族だけがまとまって住むといった家というものもそれほど普遍的なものではありません。
「社会」というものが「変わらない」などと言うことはこれまでも無く、これからも無いでしょう。
岸田の言う「社会が変わる」の「社会」とは何を指すのか。
まあだいたいは想像が付きますが、明治維新以来の国家体制に沿うべく作られた父権至上の家体制あたりでしょう。
ただし、その時代であってもそういった家制度に従えたものが国民全部であるはずもなく、そこからはみ出した人々は数多かったはずであり、それすら見えていないのが一国の首相であるのは資格を問われるものです。
②「社会は変わってきている。しかしそれを一番推進してきたのは誰か」
ここが一番腹の立つところです。
いつの時代でも社会は徐々に変わっていますが、それでも戦後の変化が大きいというのは間違いのない所でしょう。
しかし、「それを一番進めたのは誰か」
これが現在の自民党につながる勢力であったことを、当の自民党総裁が全く認識していないのはどういうことでしょう。
太平洋戦争に敗けた当時、都市部の住民も多かったとはいえ、まだまだ農村部の農業従事世帯は非常に多かったはずです。
また、都市部でも大企業雇用者は少数であり、商工業の中小事業者、家内工業、零細小売業者が家庭的な事業を営んでいました。
敗戦からの復興と称して大企業中心の重工業への集中的な投資を行ったのが政府方針でした。
それを担っていたのが大企業と結託した現在の自民党につながる保守系政党だったのです。
社会を自分たちの都合の良いように変えていく勢力がなぜ「保守」を名乗れるのか、日本の思想のいい加減さを思い知らされるものではありますが。
それに沿って、農山村の子弟の多くが集団就職と称して都会に送り込まれました。
ただしそれはあくまでも大企業の下働きなどというものですが。
残るのは長男とその嫁だけ。これで地方が生き残れるはずもありません。
それでも自民党支持は地方で大きな勢力を維持してきました。
自分たちの社会を壊そうとしている連中をなぜ支持し続けてきたのか。
わずかな餌に飛びついていただけなのでしょう。
私の母の実家も長野県南部の農家ですが、母の兄弟6人のうち家を継いだ長男と運よく?母の従兄弟の家に養子として迎えられた三男のみが故郷に残り、後は都会に就職、結婚で出ていきました。
あの地域の家の冠婚葬祭で親族が集まると、かならず「東京のおじさん」「大阪のおばさん」が参列します。
家の解体を進めたのが戦後の経済成長の裏面です。
③「同性婚を認めるのがなぜ社会の変化になるのか」
世論の多くはここに反応していたようです。
同性婚を求める人たちという存在は、決して今の時代になって発生したはずもありません。
昔から一定の割合では居たはずです。
どうやら、生物学的に見ても精神的な性差というものは非常にあいまいで連続的に変化しているもののようで、男性的、女性的と言われる性質は誰でも両方持っているモザイクのようなもののようです。
それがある程度を越えると身体と精神の性というものが一致しないということも相当数出現するということです。
しかしかつてはそれを無理やり抑えられて身体の性に従うことを強制されていた。
それが噴出してきただけのことです。
ただし、それはあくまでも少数派でありそれが多数を占めて人口減少につながるなどと言うことがあるはずもありません。
それどころか、ひっきりなしに起きる性犯罪はたいていは異性愛であり暴力的性犯罪はほとんどが男性が女性に対して犯しています。
それを見れば、少子化や人口減少はLGBTとは全く関係がないというのは明らかでしょう。
④「みんな一緒でないと安心できない全体主義者」
全体主義という思想があります。
それは神聖国家、独裁国家、共産主義国家等々、社会体制では様々な形を取りますが、いずれもその体制内では「みんな一緒」であることを強制しようとします。
やはりその体制の基盤が脆弱であることが明らかなため、それに反するような思考が邪魔になるのでしょう。
ただし他民族国家などでは民族という点でそれを求めることはできませんので、それだけに政治体制などと言うものにそれを集中させるのでしょう。
中国は漢民族優先ということで集中化を目指しますが不可能ですので、共産党独裁ということを優先させます。
韓国や日本は自国民族優先というものを目指して行けそうですが、どちらもすでに多くの外国人が流入しており徐々に同質性は崩れています。
そこで何を同質の柱に据えるのか。
岸田はまだ日本人・異性愛者というものでそれができると夢想しているようです。
それ以外の人々は排除するという意識が垣間見えます。
それが岸田発言の最大の問題点ということになります。
(もしかしたら付け加えることで続きもあるかも)