著者の色摩さんは外務省に入省し外交官も務め、1970年代に赤十字国際委員会で戦時法規の改定作業というものをやった時には日本政府代表として参加したそうです。
(といってもその時にその分野の専門家であったというわけではなく、他の部署からの参加者がまったく出なかったために仕方なく行ったとか)
そんなわけで、国際法や国連の実情、そして軍隊というものについても非常に詳しい(一面では)ということのようです。
その目から見ると、現在の日本の世論というものは、そういった面の知識が欠如したままに作られているために、世界の実情からはかけ離れたものとなっており、危ういものと言うことです。
まあ、あまりにも専門家であったために目に入らないこともあるかもしれませんが、基礎知識としてこういった人の意見を見ておくのも参考にはなるかもしれません。
先の大戦(第2次大戦)の終わり方という点では、日本とドイツとは大差があったようです。
日本は終戦時にはまだ一応政府というものが存在しており、国家として降伏手続きができました。
しかし、ドイツでは政府が壊滅しており、連合国が占領したまま新たな政府を作らせるということになりました。
日本の終戦はどうであったか、これはまずポツダム宣言受諾ということで降伏しました。
これは軍隊レベルの手続きです。
あらゆる戦闘行為がここで終了します。
そこから、国家レベルの終戦手続きに入ります。
交戦した国家の間で平和条約(講和条約)を作って調印し、双方の国家がそれを批准することで戦争が「法的に」終了することになります。
これが近代国家間の戦争終結の慣習となっていました。
しかし、第二次世界大戦の終了後には、「国連」というものを作ったために、これが歪められました。
国連(国際連合)はUnited Nations の訳語として作られた日本語です。
しかし、United Nations とは、実は大戦時の「連合国」の意味でもありました。
同じ英語を使っていながら、戦争時は「連合国」、終戦後は「国際連合」と訳し分けたのは日本人が国連というものの性格をわざと隠そうとしたためだとか。
国連には今でも「旧敵国条項」というものが残っています。
旧敵国といっても、ほとんどの国は終戦以前に連合国側に寝返っていますので、それに当たるのは日本とドイツだけです。
国連が平和主義とは言えないというのは、このような国連発祥時の性格がそのまま残っているからです。
このような国連の安全保障委員会の常任理事国に、日本がなろうというのはまったくありえない話だということです。
自衛隊を軍隊として認めようという風潮ですが、現在の日本の自衛隊は軍隊としては武力は一人前以上の実力ですが、統治方法としては警察に毛の生えた程度のものでしかなく、それをしっかりと決めなければ軍隊とはならないそうです。
軍隊というものは、どこの国でも行政組織ではなく、行政立法司法の三権と並立して存立する第4の権力というところに位置づけられます。
しかし、日本の自衛隊は行政機関そのものになっています。
そのため、軍隊としての本来の機能を発揮できません。
しかし、武力だけは備えているために他国から見れば軍隊そのものです。
その格差が激しいために、もしもアメリカが防衛から手を引き日本が独自の防衛をするようになったら何もできないだろうということです。
まあ、おそらくそうなんだろうなと半信半疑のような読後感の本です。
これを判定するには、さらに多くの勉強が必要なようです。