少し前に「Always 三丁目の夕日」という映画が作られかなりヒットしました。
その客層には印象深い現象があり、20代と年配の客にはっきりと二分されその中間の年代がほとんどいないというものでした。
若い世代は自らはまったく知らない過去の物語で、何となく社会全体が明るく希望に満ちていたように感じていたのでしょう。
しかし年配の観客はそうではなく自分たちの若い頃の社会でその実像ははっきりと覚えていたはずです。
そうであれば映画に描かれていたような光景は実際にはかなり違っていたということも判っていたはずです。
しかしあえてそれを言い出すこともなく、年配客もそれなりに楽しんで見ていたようです。
著者は1949年生まれ、昭和30年代には少年から青年となる年齢で記憶も残っています。
映画の描写に一番違和感を覚えたのが、「子どもが少ない」ことです。
団塊の世代と言うように、その当時は戦後のベビーブームでどこでも子どもが溢れるほど居ました。
また街がきれいすぎること。
当時はどこも汚れた感じで、工場からは真黒な煙が遠慮なく吐き出されていました。
そして主人公の女性が正月前に帰省することとなり、上野発の列車に乗るのですが、それが「極めて空いている」
当時を知る人にとっては、そんなことはあり得ない話です。
盆正月の規制シーズンだけに限らず、列車というものはいつも大混雑。
長距離列車でも座席に座ることもできずに通路に新聞紙を敷いて座るといったことが普通でした。
そのような「映画の嘘」があちこちに見られても、年配客は「嘘を許して楽しむ」という行動を取っていたようです。
他にも昭和30年代の社会現象を色濃く映し出す「松本清張的世界観」、「三島由紀夫」「ヨーロッパの影」「昭和30年代的アジア観」「昭和39年東京五輪」と語り進めていきます。
松本清張は昭和20年代後半から活動をはじめ、30年代にかけて多くの作品を発表しました。
そこでは社会派とでも言うべき傾向で事件を扱うというものが見られます。
当時は占領時代から朝鮮戦争、反共の強まりといった時代で謀略というものが疑われ、松本清張も謀略史観とでも言うような傾向が強かったようです。
昭和38年になり、中央公論社が「日本の文学」を企画したのですが、その編集委員として川端康成、大岡昇平といった大家に混じって38歳の三島由紀夫も依頼されました。
その三島が、文学全集に松本清張を入れることに強硬に反対したそうです。
結局、松本を入れることはあきらめてその代わりに柳田国男を入れたのですが、三島は反対の理由を明らかにはしていないものの、松本の史観というものに反発したのでしょうか。
私は関川さんより5歳ほど年少のためか、昭和30年代も前半はまだ物心つく前で記憶があまりありません。
東京タワーの建設というものも印象がありません。
しかし、「列車の大混雑」と「どこに行っても子供がうじゃうじゃ」というイメージは共通しているようです。