鉄道ファンにもいろいろな種類があり、撮り鉄、乗り鉄、さらに「飲み鉄」などという人もいますが、「地図鉄」というのはあまり聞いたことがありません。
おそらく今尾さんがその珍しい一人なのでしょうが、鉄道と地図というものを関連づけて楽しんで行こうというものです。
鉄道はあまり急勾配で上り下りできないという特性から、地形を良く考慮して路線を決めていかざるを得ないこととなり、そこを地図で見ていけば面白さも格別ということは想像できます。
というわけでこの本が書かれたのでしょうが、これを楽しむことができるのは鉄道が好きでなおかつ地図にも相当な知識を持つ人に限られるのかもしれません。
私はそうである自信がありますので、十分に面白く読むことができました。
河川にまつわる地形と鉄道という意味では、河岸段丘をめぐる飯田線という路線は非常に興味深いものであり、地図で見てもその特殊性は理解できます。
この本でもその路線中特にその特徴が顕著な、伊那大島から伊那本郷までの区間の地図を掲載し、どのように線路が引かれているかを解説しています。
現在であれば長い鉄橋やトンネルをはさんで直線に近い路線を取るのでしょうが、この区域を建設したのが大正7年から12年にかけてという早い時期だったために、標高線に沿ってくねくねと上り下りする区間となりました。
第2部は「地図でたどる鉄道路線の激変地区」と題し、鉄道路線が様々な理由で変化していったところが全国あちこちにありますが、それが地図に残っている例を示しています。
新潟市付近もその一つであり、旧市街地は信濃川と海にはさまれた地域だったのですが、鉄道はそこを越えるのは難しかったため、対岸の沼垂地区(ぬったり)に駅を置かざるを得なかったそうです。
しかし名前だけは新潟とつけることとなり、住民たちの不満も大きいものでした。
明治30年の開業から様々な変遷を繰り返したのですが、結局は旧市街からは川の対岸に今の新潟駅が置かれることとなり、旧市街側には越後線白山駅となったそうです。
今では新幹線も止まる静岡県の三島駅ですが、丹那トンネル開通までは現在の御殿場線を東海道線としており、三島の町の近くは通らなかったのですが、現在の下土狩駅を三島駅としていたそうです。
しかし下土狩は三島とはかなり離れており、しかも三島が伊豆であるのに下土狩は駿河と国まで違うということで三島町民の不満も大きかったようです。
ようやく丹那トンネル全通で東海道線もこちらとなり、三島に駅が完成してこちらを三島駅、旧三島駅は下土狩駅と改称することで収まりました。
旧国鉄時代の末期には新線の工事が始められていても途中でストップ、その内に計画が取りやめとなった「未成線」というものが全国あちこちにありました。
実際には線路が引かれることもなく、列車も一本も走らないままだったのですが、計画の段階で地図を書くこととなり、あたかも出来上がる寸前かのように点線で書き入れられた地図が堂々と発行されました。
福岡の豊前川崎駅から田川線油須原駅まで伸びるはずだった油須原線、昭和49年発行の5万分の1地形図にははっきりと線名まで書き入れられていますが、結局は計画中止となりました。
色々と面白い話があった「地図と鉄道」でした。