爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

浪人時代の思い出

テレビを見ていたら「浪人です」という女性が出てきて、最近珍しいなと思いました。

それで思い出した自分の浪人時代。

なかなか辛いことも多かったのですが、翌年の受験で志望校に受かったので、終わりよければ総て良しの通り、記憶も良いことのように色が変わったかもしれません。

 

学歴のうち、小学校中学校は実名で明らかにしていますが、高校・大学はまだ隠したままです。

同窓会なども名簿があったりとしっかりしていますので、まあ匿名の方が無難でしょう。

その点、予備校はおそらくほとんど記録も無く、また当人の記憶も薄れているでしょうから、何を書いても大丈夫?

 

神奈川県内の高校から大学受験、しかし高三の頃はあまり勉強をする気も出ずに当然のように入試失敗。

東京の予備校まで通うことにしました。

当時、人気の高かったのが駿台予備校と代々木ゼミナール

確か駿台は選考試験あり、代ゼミは無しだったと思います。

 

その試験を受けて通うことになりました。

ただし、その頃のコース分けでは「午前部理系」「午前部文系」「午前部綜合」というものがあり、午前部理系というのがレベルも一番高かかったのですが、選考試験でそこには入れず、午前部綜合というコースになってしまいました。

 

今はどうなっているのか分かりませんが、前理、前文と言うコースはお茶の水に校舎がありましたが、前綜はそこからちょっと離れた四谷に校舎がありました。

その頃でもお茶の水校はそこそこ大きな建物でしたが、四谷校はこじんまりした建物で生徒の人数も限られたものでした。

 

当時住んでいたのは湘南の地方都市、かなり通学時間はかかるのですが、東京に下宿すると金もかかるし生活も大変ということで、周囲の友人たちもほとんど自宅からの通学でした。

予備校の授業開始は早く、それに間に合わせるためには朝6時過ぎの電車に乗らなくてはならず、よくも通えたものだと今さらながら感心します。

当時は東海道線は東京駅止まり、そこから中央線に乗り換えて四ツ谷へ向かいます。

四ツ谷駅には四ツ谷口と麹町口とがあり、西側の四ツ谷口に出ます。

反対側は上智大学があるのですが、その時間帯には大学生が行くことはなく、勤め人ばかりでした。

 

校舎は駅から歩いて5分くらい、交差点を渡り少し路地を入ったところでしたが、今の地図を見ても何もありませんので、撤退したのでしょうか。

予備校のそのコースは午前中のみの授業でした。

選択科目の授業はお茶の水校である場合もあり、何度か行ったことはありますが、まあ気分的に行き難い場所でした。

予備校の机は狭いもので、長椅子に4人が座ります。

その席順はずっと固定で、同席の人達とは少しは会話はしましたが、名前ももう忘れてしまいました。

しかし皆受験勉強で運動不足、少し肥満気味とあって(私もそうでしたが)狭い席がさらに狭く感じたものです。

 

予備校では受験技術だけ身に着けるといった感覚でしたが、よほど現役高校時代に勉強していなかったためか、成績は順調に上昇し受験シーズン前にはかなり見通しも良くなりました。

 

入試当日、大学の門の前に予備校の事務のお姉さま方が並び、自分の所の受験生にがんばってねと鉛筆を渡していましたが、それも貰ってさあやるぞと気持ちを奮い立たせたものです。

 

予備校時代の思い出でちょっと変わったものがあります。

その当時、すでに高校時代から映画などに出演していた女性がちょうど同じ予備校の同じコースに在籍していました。

さすがに毎日通ってくるということはなかったものの、時々顔を見たものです。

それが誰かということは内緒ですが、まだ時々テレビで拝見できます。

 

一年といえば長いような短いような、しかしあれがあったからこそその後の人生が決まってきたということでしょう。