爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

大学受験の頃の思い出

コロナ禍にも暴風雪にも負けず、受験シーズンが始まっています。

私もかつては受験をくぐり抜けたわけですが、そういった青春の思い出はだいたい40年くらい前ということにしていたのですが、よく考えるともうほぼ50年近く前になるようです。

記憶がだんだんと薄らいでいくようなので、今のうちに覚えていることを書き留めておきましょう。

ただし、今思い出してみようとしても分からなくなっていることが多々あります。

受験会場自体、どこだったか覚えていない学校もあります。

特に印象的なところだけ断片的に覚えていると言った方が当たっているかもしれません。

 

 

神奈川県湘南地方の高校に学んだ私ですが、大学は家から通えるところにしてくれという親の願いで東京方面のみを候補としました。

高校2年からのコース分けでも一応その後の就職ということも考え、理科系コースを選択しました。

その当時、好きな科目は物理化学と歴史だったのですが、歴史を専門にすると学校の先生くらいしか無いのかと思い諦めました。

 

しかし高校3年の初夏までクラブ活動に専心、その後は体育祭開催の役員になり一所懸命活動したということもあり、これはとても大学入試現役合格は難しいと考え、一浪も視野に入れて長期計画で(?)考えることとしました。

 

そこで、高校3年の入試は本命の国立大学1校と私立大学1校のみの出願としました。

まあ、受験費用も結構高いもので、親は何も言わなかったけれどそうしたわけです。

 

最初の受験日は3月1日、高校の卒業式の日でした。

この大学の受験者や、3日の国立大学1期校の受験者でも地方大学受験の人は卒業式に出られないのは承知の上でしたが、おそらく4分の1程度は欠席者が居たものと思います。

まあ、どうせボタンをくれと言ってくる女子も居るはずもなかったので、それほど卒業式に出られないというのは気にもなりませんでした。

当時住んでいた実家から東京の大学までは2時間以上かかるところでしたが、そんなものと思っていたのでそれほど苦にもなりませんでした。

受験生の数は非常に多く、ぞろぞろと歩きながら学校までたどり着き、受験したのでしょうがほとんど記憶はありません。

 

そして3日の国立大の方がさらに緊張感を覚えました。

この学校は当時は学内の入試を1次・2次と2回行い、1次試験で選択式テストで定員の2倍程度まで絞り、2次試験で記述式テストを実施するというものでした。

1次試験は何とか合格、その数日後の2次試験に向かいましたが、すでに1日に受験した私立大の方は不合格が分かり、これでだめなら浪人確定というものでした。

しかし、実力不足は如何ともしがたく、不合格となってしまいました。

 

東京の予備校に1年間通って修行し、2回目の大学受験となりました。

現役時の2校に加え、私立大をもう1校、そして国立大2期校も1校受験することとし、絶対に2浪はしないという決心で当たりました。

さすがに予備校の授業は受験対策として優れたもので、2校目の問題の中には予備校でやったものと似たものもあり、余裕をもって受験することができました。

 

その当時の情勢として印象深いのが、労働運動の最後の花火のような時期で鉄道の労組のストライキが頻発していたことです。

それを受験シーズンにも実施するかもということになりました。

もしも国鉄ストライキとなると、実家のある湘南地方から東京まで出ていくには何とか藤沢まで出て小田急線に乗っていくしかなく、非常に困難が予想されました。

そこで父の出番となりました。

子供の教育や学校などほとんど気にする様子も見せなかった父でしたが、ここは力になろうということで、会社の東京の寮が鶯谷の駅のすぐそばにあったので、そこに宿泊できるよう手配してくれました。

おかげで国鉄が動いていても朝かなり早い時間に出発しなければならないところを遅くまでゆっくりできたという、好条件ともなりました。

時間が早かったせいか、父も大学の門まで一緒についてきてくれ、頑張れと言われたのも思い出します。

 

その甲斐あってか、本命の国立大1期校の受験もなんとか合格することができました。

父母や親戚などもみな喜んでくれたのも思い出深いものです。

当時は学校側からの結果連絡のサービスも無く、自分で掲示板を見に行くのが確実ということで発表時間には足を運びましたが、現在は掲示も受験番号だけで他人が見ても分からないのですが、当時は氏名を明記という今では考えられないようなものでした。

そのため、大学そばの駅から歩いて学校に向かっていた時に反対から歩いてきたのが高校の時の先輩でその学校に通っていた人ですが「お前、受かってるぞ」と自分が確認して喜びたかったのを先に言われてしまいました。

掲示板を見ての感激が少し薄れてしまいました。

 

まあ最後は志望校に受かってめでたしめでたしの私の大学受験でした。

 

今のテレビなどを見ても、「受験時の注意」として挙げられているのが、「防寒対策は十分に」と「会場に入ったらまずトイレの確認を」ということでした。

これは当時は今よりさらに暖房の性能が悪かったためか、切実な問題でした。

特に私の受験したのはすべて理系でしたので、当時は今よりさらに男女数の差が大きく、ほとんど男子ばかりという状況でしたので、男子トイレの混雑は激しいものでした。

その点、女子トイレは余裕があったようです。

テレビの注意では「トイレの位置は複数確認しておけ」ということでしたが、それも大切でしょう。

ここで何かあるともうテストに集中するどころの話ではならなくなります。

まあ、受験に向かう時はとにかく集中して当たること。

そのためには準備も大切と思います。