神童というと、子供の頃からピアノやバイオリンが上手いという人もいますが、たいていは勉強がすごくできる人というイメージでしょう。
二十歳すぎればただの人という話もありますが、実際のところはどうなのかという思いは少しはあります。
著者は教育ジャーナリストで、受験関係の出版編集などもやってこられたという方ですが、受験秀才という人々の取材やインタビューなども数多く行ったということで、本書に取り上げられている人々も実際に話を聞いた人が多いということです。
有名な受験校の中でもトップクラスで、予備校などの模擬試験でも全国何位といったランキング上位に毎回顔を出し、東大の理三(医学部進学)や文一(法学部進学)に抜群の成績で合格という人たちは確かに「神童」と呼ぶにふさわしいものでしょう。
しかし、その後彼らがどのようになっていったかというと、どうも大活躍という人は少ないようにも思います。
本書の最初に出てきた「神童」が現日銀総裁の黒田東彦というのが、ちょっとがっくりくるところです。
それに続いて、黒田の後輩とも言える財務省(大蔵省)のトップクラス官僚が紹介されますが、ここはさすがに「残念」神童の末路といったものになっています。
こういった連中を「神童」と呼ぶならば、彼らは何と言っても受験では抜群の成績を収めていきます。
さらに、読書量も凡人とは異なり手当たり次第のように本を読んでいき、しかも一度読んだ本の内容は的確に理解し記憶しているという様子が見て取れるようです。
どうやら、本などというものは「一瞥しただけで写真のように記憶する」能力が優れているようです。
こういった人々はIQ(いわゆる知能指数)も非常に高いようです。
神童たちの現在など、様々に紹介されていますが、それを一々取り上げても仕方ありませんし、何より書いていて気分が悪くなるので割愛します。
中で一箇所だけ「残念な神童たち」と題した章があり、少年時代には神童と言われたもののその後はとんでもないという連中を取り上げていますが、それはオウム真理教に入信した石川公一や青山由伸、内閣法制局で屁理屈をこねくり回して集団的自衛権を解釈している奴ら、とんでもない失言を繰り返す安倍首相の補佐官たちでした。
私の見たところ、本書冒頭から取り上げられていた人々のほとんどが「残念」に見えるのですが。
このあたりは、著者の小林さんの立場が関係しているのかもしれません。
そんなわけで、書評はこれくらいにして、あとは自分の考えを述べることとします。
上に書いたように、たしかに受験で「抜群の成績を収める」人は存在します。
それは、一目見ただけで本の内容をすべて覚えるような記憶力、次から次へと問題を瞬時にこなす処理能力が人一倍優れているということでしょう。
これらの能力は、実は「IQテスト」で評価されるものと重なるようです。
したがって、こういった受験秀才はIQも高いということになるはずです。
問題は、「人間の能力」というものは一面だけではないということでしょう。
IQテストなどに詳しい心理学者の村上宣寛さんのIQに関する本を読んだことがあります。
sohujojo.hatenablog.comこれによれば、どのような人が「頭がいい」と考えるかということは、民族によって大きく異なり、「人とのコミュニケーション力」や「人をまとめるリーダーシップ」という能力を重要視するところもあるようです。
日本の「受験秀才=神童」たちはこういった能力があるかどうかは怪しいものでしょう。
しかし、このような偏った受験秀才たちを選び出しているのが、現行の受験制度でありそれに勝ち抜いた人々が東大医学部や法学部を優秀な成績で卒業します。
さらに問題はこういった人々をそのまま受け入れるような国家公務員試験や司法試験などの存在です。
別の判断基準などは存在しないかのように受験秀才だけを選び出すような問題を使います。
これも当然の話で、高級官僚たちがその地位をつかむために使ってきた制度を自ら放棄するはずもありません。自分たちの存在理由を高めるような後輩だけを受け入れる制度を守り続けています。
このように、「日本の官僚は優秀」という神話を守り続けた結果がこの体たらくというところでしょうか。
書評から大きく離れてしまいました。まあいいか。