熊本県のサッカー名門校、大津高校で起きたイジメ事件は大きな話題となりました。
発生は少し前の昨年1月ということですが、当時1年だったサッカー部員が先輩に「全裸で土下座」させられたというものです。
学校側はわずかな対応で済まそうとしたようですが、それでは収まらずサッカー部が当面活動自粛ということになっています。
しかし私が興味をひかれたのはこの事件の「イジメ」の実態ではありません。
この発端となった、「先輩にあだ名を付けたことを咎められた」という点です。
先輩や周囲の部員はこの行為に対し「制裁を加える」として上記の行動に出ました。
「制裁」はそれを行なう側に正義があると考えてすることです。
単なる「イジメ」ではないということがそこにあります。
そしてそれが冒頭の表題にした「あだ名をつけることは悪いことなのか」ということです。
「あだ名」と言っても色々なものを含んでいます。
別の言い方で、「愛称」といえば全く悪いことはありません。
しかしそうではなく悪意を含んだものがあります。
実数としてはこちらの方が多いのでしょうか。
そのため、小学校などで「あだ名禁止」としているところも多いとか。
そのような状態は子どもたちのコミュニケーションを損なうとして批判記事を書いている人もいました。
しかし「あだ名」を悪意の表れとして実際に使用している人も数多いはずであり、その面を考えれば規制はやむを得ないとも言えそうです。
自分も省みれば、中高生の頃など先生や先輩に対しこっそりとあだ名をつけて仲間内だけで使っていたという経験はまだ(50年以上経っても)覚えがあります。
本人の前では〇〇先生と呼んでも、裏では「✖✖め」などと言っているというのは、悪意そのものでした。
それがバレていれば明らかにひどく怒られていたでしょう。
今回の事件と何の変わりもありません。
「あだ名」に関する記事を色々と調べていたら、ニュースで岸田首相が「増税眼鏡」というあだ名をつけられてショックを受けていたというものがありました。
これは悪意を含んでいるのでしょうが、真実を露わにしているとも言えます。
ただし、それほど面白くはない。
海外でもあだ名に属するような呼び名というものは数多くあるようです。
歴史の父(ヘロドトス)や医聖(ヒポクラテス)は良い方でしょうが、結構ひどいものも見られます。
こんなあだ名を使うななどという禁令が出されたりしたんでしょうか。
中国でテディーベアと言ってはいけないという話は聞いたことがあります。
まあ冒頭の事件の起きた高校サッカー部の今後については私にとってはどうでもいいようなことで、その内に収まる所に収まるでしょう。
あそこが全国大会予選に出られなければ他の高校チームが喜ぶだけで。