爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「分類思考の世界 なぜヒトは万物を『種』に分けるのか」三中信宏著

生物を「種」というものに分類するということはだいたい誰でも知っていることでしょう。

動物園に行けばおそらく和名とともにアルファベットで学名も書かれているのを見ることができます。

 

しかし、その「種」とはいったい何だろうと考えると、それほど簡単な話ではありません。

雌雄のある動植物であれば、生殖して子供ができるのが同一種であるというのがだいたいの理解であろうと思いますが、それでも不稔性の雑種を作ることができる別種というものもあります。

また、生物は進化していくと言われていますが、遺伝子が変異して変わっていくとどこからか別種になるのでしょうか。

 

こういった、素人でも迷いそうなことは専門の生物分類学者の間でも多くの論争が行われている分野だそうです。

そういった論争の一端を、専門家の三中さんが様々な比喩を使い、分かりやすく解説しているのでしょうが、あまり分かりやすくはありませんでした。

非常に哲学的とも言える内容であり、こういったことを始終考えている分類学者という人たちも大変な仕事だと推察できるところです。

 

オーストラリアにたどり着いた西洋人はそこでカモノハシを見つけて驚きました。

他にもカンガルーやコアラといった他の大陸には見られない哺乳類を発見してかなりびっくりしたのでしょうが、カモノハシに至ってそれは究極に達します。

四足で卵で生まれるもののお乳を飲んで育ち、くちばしと水かきを持っているが羽根はない。

これまでの常識を覆すような生き物でした。

他の哺乳類では見られない、メスの排泄孔と産卵孔が一つになっているということから、単孔類という類を新設してごまかした?のですが、ならばどう分類すれば良かったのでしょうか。

これは別に静かに暮らしてきたカモノハシの責任ではありません。

どのような性状を分類の指標とするかという、人間の側の勝手な事情だけです。

 

ジュリアン・ハクスリーらは「新しい体系学」を提唱しましたが、反対する学者も厳しく批判しました。

世界的な甲虫学者のリチャード・E・ブラックウェルダーは次のようにまとめていたそうです。

1.分類学の任務は昔も今も新種を記載し分類体系を構築することにある。それを古臭いと言われる筋合いはない。

2.「生物学的種概念」は進化学者のための道具にはなっても分類学者には何の役にも立たない。

3.進化や横分化の機構論は分類学には何の関係もない。

4.「新しい体系学」なるものの正体は、単に新しいタイプのデータ(遺伝学・細胞学・行動学・生態学など)を使おうと言っているだけでまったく新味がない。

5.「新しい体系学」などという標語は悪しき政治的スローガンに過ぎず、分類学コミュニティに受容されているとはいいがたい。

 

いやはや、学者同士の言い合いというのは非常に面白いものです。

 

もちろん、ここで言っている生物分類とは、時々ニュースに出てくる「新種生物発見」といったもののはるか彼方の話のようです。