副題には「若い読者に贈る 感動する生命のはなし」とあります。
もうまったく「若くはないが」と思いましたら、まえがきには「自分が若いと勝手に思っている読者に」だそうです。
安心して読み進められました。
著者の更科さんは「分子古生物学」がご専門とか、おそらく何をやっているのか分からない人がほとんどでしょう。
しかし、本書は生物学などまったく知らなかったという人でも十分に読んでいくことができると思います。多分
生物と言うものの大きな流れから、面白いエピソードまで、いろいろな側面から生物と言うものを語っています。
レオナルド・ダ・ヴィンチは様々な科学の分野で活躍しましたが、「地球」というものを生物かあるいは生物に限りなく近いものとして考えていました。
地上の山脈は生物の骨に当たり、それを流れる水流は血流のようなものとみていました。
高い山の上の方に海中の生物の化石が見つかることも、当時は一般的にはノアの洪水で流されたと考えられていましたが、レオナルドはその中に完全な形の貝殻が多いことからそのような激しい水流があったとはいえず、徐々に岩が動くことによって持ち上げられたと考えました。
ただし、生物の重要な要素として子孫を作るというものがあるのですが、レオナルドはそれには思い至らなかったようです。
現代の生物学者の多くが認めている「生物の定義」とは、1、外界と膜で仕切られている。2、代謝(物質やエネルギーの流れ)を行う。3、自分の複製を作る。
というものです。
このような簡単な定義ですが、これらを満たすものは生物しかありません。
細胞と言う、生物の基本単位ですが、これも内部での化学反応を守るためには膜が必要です。
ここに生物は巧妙な構造を作り出しました。
親水性の基と疎水性の基を持つリン脂質という分子をつなげたものを作ると全体として水の侵入を防ぐ膜ができます。
これをさらに2重にすることで、内部と外部を隔てる細胞膜というものを作り出しました。
実はほとんどの生物で細胞膜の構造と言うものは共通であり、おそらく生物発生の数十億年前からその構造は変化していないと考えられています。
生物はじっとしている時でも物質とエネルギーを消費しています。
このような構造を散逸構造と呼びます。
これが生物が「代謝」というものを行う理由となっています。
なぜ生物が散逸構造となっているのか、その答えは今のところ不明となっています。
生物には動物と植物があると思っている人が多いでしょうが、動物も植物も真核生物という分類の中のごく近い親戚です。
真核生物の他には細菌などを含む原核生物、そしてアーキア(古細菌)というグループに分けられます。
アーキアはカール・リチャード・ウーズという生物学者によって最近(1977年)に提唱されました。
ウーズはDNAの塩基配列の系統を整理し、真核生物、原核生物とはまったく違う系統であるとして古細菌(アーキア)を別グループに整理しなおしました。
ところが、伝統的な生物学者にはそれに反対する人たちも多かったようです。
アメリカの進化学者でエルンスト・マイアという人も強力に批判しました。
マイアが提唱した種の概念というものは、「遺伝子を交流させることができるのが同一種」というものです。
つまり、交配して子孫を残すことができるのが同一種であるというもので、動植物などの生物には非常に良くあてはまる定義でした。
しかし、分裂のみで増殖する細菌などですらこの定義では十分に種を決めることはできません。
どうしても遺伝子解析の方法によらなければならなかったのです。
人類は別に生物の中で「特別な存在」であるわけではありませんが、大きな特徴として「直立二足歩行をする」と「牙を失った」ことがあります。
実は、直立二足歩行をする生物というものは人類以外にはありません。
ニワトリやティラノサウルスも二足では歩きますが、「直立」していません。
彼らの頭は脚の真上には来ないため「直立歩行」とは言えないのです。
「直立二足歩行」をなぜ人類の祖先は始めたのか。
学者の間でも多くの議論がされています。
これには長所も短所も数多くあります。
長所の中で一番確からしいのが「両手が空くので武器が使える」と「両手が空くので食料を運べる」です。
短所の最大のものは「速く走れない」です。
チータなど最速の動物以外にも、多くの動物は四つ足で非常に速く走ります。
もしもライオンなどの猛獣に追いかけられれば人間はあっという間に追いつかれてしまいます。
人間ももし四足歩行であればもっと速く走れた可能性があります。
そのような生命の危険に直面することがあっても、それでも二足歩行に進んだのはなぜか。
そこには、人類が「一夫一妻の夫婦制度社会になったからだ」という、驚くべき理由が隠されていたそうです。
人類にごく近縁の類人猿、オランウータンやゴリラは一夫多妻、チンパンジーやボノボは多夫多妻という社会を作っています。
このような社会ではメスを巡っての争いが非常に多い。
その争いに必要なのが「牙」などの武器だったのです。
一夫一妻制度を採用した人類は、そういった闘争をする必要が減り武器としての牙も必要がなくなった。
そして、雄は妻子のために食料を調達し運んでくることに専念できるようになったのです。
そのために、「直立二足歩行」で多くの食料を手に持って運べるということを可能にしたというのがこの仮説です。
非常に分かりやすく納得できる仮説であると感じました。
この後にも、ガン細胞の話やIPS細胞の話まで触れられています。
生物学というものの大きな概念を理解するためには非常に分かりやすい読み物と感じました。