高橋源一郎さんは小説家としてデビューされましたがその後は評論活動も多く、そういった本は何冊か読みました。
この本は「ニッポンの小説」と題して文芸誌に発表されたものをまとめたもので、その3冊目になるということです。
題名通り、小説の中でも「戦争」に関するものを取り上げています。
ただし、構成はかなり凝ったものとなっており、最初は「読めなくなった」という状況から始まっています。
小説だけでなく、文字というもの自体、読めなくなった。
もちろん実際にそうであるはずもなく、「もしもそうなったら」ということで考えていくということなのでしょうが、これを読んでいるおそらく小説好きの人々にとっては衝撃的な状況を見せてくれます。
小説が読めないという状況がもしビョーキのせいであるのなら、「正常」と「ビョーキ」の違いは何か。
いろいろと哲学的な自問自答を繰り返し(そのことだけでもビョーキのはずはないということは分かりますが)徐々に読めるようになっていきます。
そして読めるようになった文章が扱っているのが「戦争」だということでテーマに進んでいくことになります。
戦争の話というのはなかなか微妙な点があるというのは、どこの国でも一緒でしょうが、日本の場合はさらにその問題が大きくなります。
それがあるからこそ、「本が読めない」という構成を使ったのかもしれませんが。
まあ本題の方はどんどんとシリアスになっていくのですが、そちらは置いておいてエピソードの方だけ。
橋下徹が色々なことを発言し、賛否の声が上がるのがしょっちゅうですが、その橋下の発言について、高橋さんはこれは「戦争を知らない子どもたち」特有のものだと感じます。
とはいえ、高橋さん自身も実際の戦争を見たわけではないのですが、高橋さんの場合父親の実家が「軍人の家」であり多くの職業軍人を送り出し、父親の二人の兄も激戦地で玉砕したということでした。
さらに親戚の多くも軍人として従軍し、生き残った人も多かったのですが彼らは戦後高橋家を訪れ戦争の実体験について多くのことを語っていたそうです。
幼かった高橋さんはそんな話は聞きたくないと言って耳を押さえて逃げ出したそうですが、そのような戦地の実情を家庭で話したという所はほとんど無かったでしょう。
しかしそういった稀有な状況で「実戦体験を当事者から聞いた」高橋さんにとっては、現代の「戦争を知らない子どもたち」の発言はかなり問題視されるべきもののようです。
他にも多くの小説を基にした話がいろいろと進行するのですが、どうも小説は苦手でして実際に読んだことのある作品など皆無、高橋さんの書かれていることも消化できないままという、豚に真珠状態でした。