爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

熊本豪雨から2年、追悼式が開かれる。

7月4日は熊本県南部で大きな被害を出した熊本豪雨から2年ということで、追悼式などが開かれたそうです。

kumanichi.com

被害の大きかったのは人吉市球磨村八代市などで、合わせて67名の方が亡くなったそうです。

 

数日前から大雨が続いていたのですがやはりその直前の降水量はものすごかったのでしょう。

徐々に被害の情報が伝えられましたが、その全容が分かったのはやはり時間が経ってからのことでした。

人吉市内はカメラも多くその激しい水流などが見られましたが、球磨川流域の渓谷の間の被害はなかなか分かりませんでした。

しかし、道路橋や鉄道橋が次々と落ちていくシーンは衝撃的でした。

 

わが家は八代市でも平地の真ん中で被害はありませんでしたが、ニュースで流れる球磨川の状況を見るとあの高い堤防のわずか下まで水位が上がっており、これが越えたらどうなるかという不安を感じました。

もう河口が間近なので、海の満潮時に重なるとさらに水位が上がる危険性があるのですが、何とか持ってくれました。

しかし、屋根の上までも水が来るという人吉市内の状況を見ていると他人事ではないと感じました。

近くの住宅展示場には「平屋の住まい」などと言う住宅のモデルハウスがあるのですが、大丈夫なんでしょうか。

 

その後の復興は人吉市内は早めに進んでいるようですが、山中のところは土地のかさ上げをするのか、高台移転をするのか、すぐには決められず動けないところも多いとか。

そのせいか、八代市坂本や球磨村などでは家の再建をあきらめて町中に移転という人も多くなっています。

 

人吉から上流へ向かうくま川鉄道はようやく落ちた橋(球磨川第4橋梁)の再建が決まり、全線復旧に向けて動き出しましたが、JR肥薩線はあまりにも大きい被害のためその方向も決まりません。

球磨川沿いの国道もまだ関係者以外の通行は制限されているようで、なかなか近づくこともできません。

 

球磨川の支流、川辺川に作ろうとしていたダムを断念したのもこの洪水の被害をひどくした原因だということになり、少し形を変更して建設再開ということになりました。

下部に開口部を設ける流水型ダムだということですが、それが本当に洪水の防止につながるのかどうか、まだ怪しいもののように感じます。

さらに、それで防止できる水害というのは、「ダムの上流部に大量の降水があった時」のみに限られるということが考えられていないようです。

川辺川ダムの位置は人吉市から北東側の九州山地沿いのところですが、当然ながら線状降水帯がそれ以外の位置にかかった場合はこのダムは何の効力も示さないでしょう。

「大雨はこの地域でしか降らない」といった信念?があるのでしょうか。

 

今思えば40年以上前に会社に就職し、たまたま赴任したのがこの地でその後色々とあってずっと住むことになりました。

しかし、水害の危険性ばかりでなく地震の恐怖もあり、何でふるさとを離れてここに来てしまったのか、まあ運命のなせる業ですが、仕方ないとはいえ怖ろしい話です。

あとン十年、死ぬまでの間に大きな災害が来なければ良いのですが。