7月の熊本県南部豪雨で人吉地方は大きな水害被害を受けました。
その後、かつて建設を停止した球磨川支流の川辺川のダムがもしできていれば、浸水水位がかなり減ったという解析結果が発表されたことから、建設再開を望む声が大きくなり、県知事は各地で意見を聴取した結果、川辺川のダムを建設することを再開することに決定し、国交省などにその由を申し入れました。
ただし、環境保護のポーズだけは取りたいのか、これまでの貯水型ダムの計画は廃止し、「流水型ダム」という治水のみの用途のダムに変更して進めるということです。
川辺川ダム建設というのは、熊本県南部地方で何十年にもわたって問題であり続けたもので、人吉地方は昔から洪水被害を受けやすい地理的条件であったことから、大規模ダムを作るという計画が持ち上がりました。
特に、1965年の大水害が契機となり1966年よりダム建設の計画が決定され推進することとなりました。
しかし、建設地の五木村などは反対しました。
現地の川辺川は日本でも有数の清流ということから、その環境を惜しむ人々も多く、ダム建設に反対する声は強いものでした。
それでも五木村では建設容認となり、住宅などの高台移転も始まっていたのですが、反対派の運動も根強く、建設開始とは至りませんでした。
ところが、2008年に熊本県知事に就任した蒲島郁夫は就任直後からダム建設問題を重要視し、その半年後にダム建設は中止し、ダムによらない治水を行うことと決定しました。
ところが、その後「ダム以外の治水計画」は意見がまとまらず、結局は何もできないまま7月豪雨を迎えることとなってしまいました。
そのあまりの被害の大きさにおののいた知事は、やはりダムが必要という姿勢に変換してしまいました。
「ダムによらない治水」というのは、結局は何のイメージもない言葉だけのものだったようです。
結局は10年余りの年月は単なる時間の先延ばしでしかありませんでした。
しかも、今度建設しようという「流水型」ダムというのは、まだ全国でもそれほど建設されているものではなく、それも川辺川ダムのような大規模なものはありません。
それが本当に洪水抑制につながるのかも不確かなもののようです。
結局、知事のポーズに付き合わされて何となく上手く行っているように誤魔化されていただけなのでしょうか。
一見、柔和そうな表情の知事ですが、その中身は政治家としての責任感も怪しいもののようでした。
やはり大学教授崩れの県知事など・・・と言ってしまうと他の人に悪いかもしれませんが。