爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ここまでわかった! 縄文人の植物利用」工藤雄一郎、国立歴史民俗博物館編

縄文時代と言えば人々は狩猟採集の生活を送っていたというイメージがあります。

しかしどうやらかなり早期から植物の栽培などは行っていたようです。

これまでは縄文遺跡からはなかなか植物自体の遺物は発見されず、よく分かっていなかったことが多かったのですが、国立歴史民俗博物館を中心として植物学者や民俗学、年代学などの専門家が集まったプロジェクトで、縄文遺跡から発見された考古学的資料を再検討するということが行われました。

すると、縄文時代でも初期の頃、13000年以上前の時代から様々な植物を栽培し利用すると言ったことが行われていたという形跡がはっきりとしてきました。

 

この本はそのプロジェクトの成果を2012年に発表したフォーラムの内容をもとに、さらに分かりやすくまとめた内容となっています。

そのために、視覚的にもイメージの作りやすいようにということで、イラストで当時の生活や植物栽培の様子なども大胆に想像を交えて描かれています。

写真や図版、イラストのページと説明文のページが交互に配置されていますので、図版を見るだけでも感覚的に分かりやすいものとなっています。

 

植物の遺物というものはすぐに分解してしまうことが多く、これまでも縄文遺跡から土器や石器というものは発見されやすかったのですが、植物はなかなか残っていませんでした。

しかし1970年代以降に大規模な開発に伴って各地で遺跡が発見され、特に当時の低湿地に存在した遺跡が見つかると、低地に水漬けの状態で埋もれた遺物が次々と見つかり、そこでは植物体も腐敗分解せずに残っているものが見られました。

福井県鳥浜貝塚青森県三内丸山遺跡、東京都下宅部遺跡など、多くの遺跡から貴重な遺物が発見されました。

そこではクリ、ドングリといった堅果類、ウルシやアサ・ヒョウタンなどの外来植物なども多く見つかり、また栽培されていたという証拠も得られました。

 

2000年代以降になると研究技術も進歩し、植物の種類がそれまでの「属レベル」から「種レベル」の同定まで可能となりました。

また、様々な手法により、土器表面の植物の種の痕跡を調べる「レプリカ法」、デンプンの種類を分析する「デンプン分析」、籠や繊維の素材を同定する「樹脂包埋切片法」などを駆使することで当時の技術レベルや使っている素材の同定などができるようになりました。

それで当時の生活自体がはっきりと見えてくるようになったのです。

 

土器に痕跡が残っていたことで、縄文人はマメ類も栽培し食べていたことが明らかになりました。

東アジアのマメ類といえばダイズとアズキですが、これらは原種が東アジアにあるというものです。

ダイズの原種はツルマメで現在でも雑草として見られます。

その原種から栽培種のダイズに変わっていったのがいつかはまだ正確には分かりませんが、縄文時代の土器に残った痕跡は栽培種のダイズであったことが分かっています。

 

ウルシを使って作った漆器というものは、日本や中国で広く分布していますが、縄文遺跡から漆器が見つかっています。

その年代は非常に古いもので、北海道の函館市の遺跡から見つかったものは9000年前のものでした。

一方中国では見つかった最古のものは浙江省のもので7600年前です。

日本の方が古いのでしょうか。

しかし、日本ではウルシの木の野生種は知られておらず、見つかっているものはすべて栽培種です。

中国では野生種のウルシも栽培種も見つかっており、そこが原生地かもしれません。

日本の9000年前の漆器に使われていたウルシも栽培されていたものなのでしょうか。

そしてそのウルシは中国から渡来したものだったのでしょうか。

この点はいまだに不明のままのようです。

さらに遺跡の発見が続き、原生種のウルシが見つかるかあるいは中国からウルシを持って渡来した人々がいたという遺物が見つかれば判明するかもしれません。

 

どうやら縄文時代の人々は狩猟採集で食べ物を集めたいただけではなく、高度に管理された植物栽培で得られた作物を利用していたようです。