爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「旧石器時代」堤隆著

日本の古代に興味のあるという人でも、それはせいぜい縄文時代以降であり、それ以前の旧石器時代にはほとんど目が向かないのではないでしょうか。

 

それに対し、旧石器時代を対象に考古学的研究をされている堤さんが、その解説を試みています。

 

旧石器時代といっても、日本列島には人類はいつからいたのか。

あの旧石器捏造事件があったために、その点が混乱していますが、今発見されている旧石器はだいたい4万年前以降のもののようです。

これは、現生人類ホモサピエンスの移動が分かってきて、中国大陸に到達したのが4万年以降であるということから、その後海を越えて日本列島に来たとすると時間の辻褄も合いそうです。

それ以前も旧人は中国大陸にはいたはずですが、彼らは海を渡るという術はありませんでした。

その時期に海を渡り、初めて日本列島に人が住むようになり、そこから縄文土器を作り出す1万5千年前までの約2万5千年の間が日本における旧石器時代と言うことができます。

ただし、沖縄を除くほとんどの地域では強い酸性土壌であるため、骨を含めた有機物はほとんど残っていません。

そのため、わずかに出土する石器のみが当時からの遺物なのですが、本当に石器なのか、自然の石なのかの判別も難しいものが多く、論議を呼びます。

 

この時期は最終氷期最寒冷期とも呼ばれる、非常に寒冷な気候でした。

そのため、寒さをしのぐための衣類が必須でした。

まだ植物性の織物などは作れない時代には、それは動物の毛皮しかありませんでした。

動物の毛皮を衣類として着るためには、「なめし」という作業が必須です。

皮に肉や脂肪が付着したままだとすぐに腐ってしまうので、それらを取り去らねばならないのですが、そのための道具が必要になります。

これが掻器(そうき)と呼ばれる石器で、後期旧石器時代の遺跡から出土しており、その他多様な石器を用いて皮の加工をしていた様子が分かります。

ただし、地域的には西日本にはほとんど見られず、東日本でも高地や高緯度になるほど多く出土しています。

いわば、「環境指標マーカー」だとも言えます。

 

黒曜石は非常に鋭利な石器となったため、広く使われていたのですが、その産地は長野県和田峠、東京神津島、北海道白滝など限られた地域です。

その産地は原材料の化学成分を特定することにより、はっきりと分かるのですが、それによると非常に離れた地域にも黒曜石がもたらされていたことが分かります。

神津島の黒曜石が関東全域に広がっていることから、定期的に神津島を訪れる舟が使われていたということも分かります。

また、北海道白滝の黒曜石はサハリンの遺跡からも発見されており、この移動距離は本州で長いと言われている和田峠産の黒曜石よりも長く、相互の交通があったということを示しています。

 

なお、韓半島の旧石器についても記述がありますが、日本には見られないようなハンドアックスという重厚感のあるものも見られます。

海を渡って日本列島に入る頃には、そのような石器は使われなくなっていたために、列島では見られないのでしょうか。

まだ日韓両国の研究者の交流は多いとは言えず、これからも情報共有を図ることでさらに新たな発見がされる可能性もありそうです。

 

列島の考古学 旧石器時代

列島の考古学 旧石器時代

  • 作者:堤 隆
  • 発売日: 2011/05/14
  • メディア: 単行本