爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

4月4日という、縁起の良さそうな日付?

日本ではどうしても「4」の字は「死」を連想させるということで敬遠されることがありますが、今年は「令和4年4月4日」となります。

まあ縁起の良いという感じはしませんが。

 

しかし以前にもっと数字の揃った日がありました。

「昭和44年4月4日」で、ここまで念が入っているとかえってすがすがしく感じます。

 

ところが、このどうしても「なんとかく嫌な予感がする」日に、私の父親が海外旅行から帰国する予定でした。

 

昭和44年といえば西暦で言えば1969年、高度経済成長の真っただ中、あちこちで建設工事が続いているような時期でした。

 

父は当時某会社の東京支社の総務課長だったと思います。

その少し前、1964年から海外旅行が自由化されたということですが、まだまだ簡単に渡航できるようなわけもなく、行けるのはごく一部の人のみでした。

そんな中、会社の得意先で団体を作ってヨーロッパ視察旅行(一応そういう名目で)をするということになったようです。

父は職務上?総務の仕事の一環ということで附いていくこととなりました。

 

会社での壮行会も行われたのでしょうが、家族でも叔母一家を招待しての東京のレストランでの壮行会も行なうという、今は昔の感覚での旅立ちでした。

 

どうせ行くなら徹底的にあちこち回るというプランだったのか、さすがに仕事もあるというので父だけ団体を抜けて途中から一人で帰ってくるということになっていました。

とはいえ、直行便などある時代ではなく途中で何か所か乗り継ぎでの帰国だったようです。

確か最終の便が香港から乗ってくるもので、それの到着予定が「昭和44年4月4日」でした。

母や兄もそれを聞いて何か嫌な表情であったような気がします。

 

ところが、香港出発の寸前に飛行機の機体故障が発生したとか。

何と出発が丸一日延期されました。

結局、東京到着は昭和44年4月5日となり、その日に父はにこやかに帰国しました。

まあその前日に事故が頻発したということもなく、いつも通りではあったのですが。

 

帰ってきた父からは色々な土産話を聞きました。

コペンハーゲンで一人で人魚の像を見に行こうとタクシーに乗ったが「マーメード」といくら言っても通じなかったが何とか身振り手振りで伝えたら運転手が「オー、ミミド」と言って連れて行ってくれたとか。

ローマでは一人で床屋に入り、これも身振り手振りで刈ってもらったとか。

英語すらほとんど話せなかった大正生まれの父の武勇伝でした。