読んで下さる方が居るかどうか、評判は気にせずに続行です。
3,高校時代
このあたりの年代で私の音楽に関する状況は激しく変わります。
しかしもう半世紀も前のことですので、起きた事柄の時間の前後がもう不確かになっていることもあります。
ビートルズなどを主に聞いていたのですが、そのうちにそれに飽き足らずにジャズを聴くようになりました。
FMラジオを買ってもらったので、音楽番組も聞けるようになり、様々な音楽を知ることができました。
その中でもジャズの持つ緊迫感に魅せられるようになりました。
ちょうどそのころ、父の影響もあったのでしょうが、トランペットを買ってもらいました。
別にどこかに練習に出かけるということもなく、家で教則本を頼りに練習するだけなのですが、良い気晴らしにはなりました。
また、フォークギターも買い、こちらもポロンポロンとつま弾くということをするようになりました。
ジャズの好みもその関係で管楽器、やはりトランペット中心になります。
最初に買ったレコードがフレディ・ハバードのスカイダイブというもので、なぜこれを選んだのかも全く忘れましたが、ラジオで聞いたのかもしれません。
その後はマイルスデイビスなどの有名どころも買うようになりました。
ただし、そればかりで終わらないのが自分らしいところで、あまりにも生真面目すぎる演奏の多い当時のジャズに飽き足らず、フユージョンやボサノバといった軽い傾向のものも聞くようになり、さらにシャンソンにまで興味が広がってしまいます。
ちょうど受験勉強をする頃になりますが、夜中にもラジオで音楽を流しながら勉強と言う、一見余裕あるようなスタイルで過ごしていました。
4,大学時代
基本的には高校時代と変わらないような音楽の楽しみ方だったのですが、やはり変化もあります。
大学では当時は第二外国語が必修となっており、私の行った学校ではその選択によって教養課程のクラス分けがされていました。
ドイツ語を選ぶ人が多かったのですが、私はフランス語を選択しました。
その理由は誰にも言えませんでしたが「シャンソンを歌いたいため」だったというのは秘密です。
少年時代からここまで、実は「日本語の歌」というものをほとんど聞いていません。
当時はフォークソングやグループサウンズ、アイドルなど多くの歌が流行っていましたがそういうものにはあまり魅力を感じていませんでした。
しかし、ある日、学校の授業が午後からだったのか、家を出るまでの間FMラジオの朝の番組を聞いていて、ハイファイセットの「海を見ていた午後」を聞いて衝撃を受けました。
山本潤子さんの透明な美しい歌声と洗練された旋律などに魅せられました。
それからハイファイセットの他の曲、そしてその作曲のほとんどをしていた荒井由実さんの曲などを聞くようになりました。
楽器の演奏も続けていたのですが、その頃大問題が持ち上がりました。
上の前歯が二本虫歯になり、根本だけ残して差し歯にせざるを得なくなったのです。
治療費は親が出してくれましたが、かなり高額なものになりました。
それでちょっとトランペットを吹くのが怖くなりました。
ご存じの通り、トランペットなどのマウスピースに唇を押し当てる楽器ではかなり強く歯に力がかかります。
それでもしも高い差し歯が壊れるようになったのでは大変だと思い、トランペット演奏は控えることとしました。
それでも何か楽器はやっていたい。
それで色々と考えてテナーサックスに乗り換えることとしました。
これも半額は親に出してもらい購入しました。
このあたりからジャズミュージシャンの好みもサックスに変わっていきます。
コルトレーンは少し真面目過ぎ、ということでソニー・ロリンズの方が好みでした。
豪快なテナーが魅力的でしたが、自分のサックスの音との落差は天と地ほどありました。
(その3,社会人以降に続く)