爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか」池上高志、石黒浩著

AI、ロボットの進歩は急激であり、日に日に変わっていくようにも見えます。

一見しただけでは人間との見分けもつかないようなロボットも登場しています。

しかし、まだその多くは人間がプログラムしたままの動きをするだけに過ぎません。

ロボットが「心」を持つとはどういうことなのか。

自律的に考えるロボットというものは可能なのか。

そういったことを、人工生命研究者の池上さん、ロボット研究者の石黒さんが、テーマを分けて書き、そして対談もしているという内容です。

 

ただし、最先端の研究者の対談ということで、非常に専門的な内容であり、あまり一般人に分らせようという意識は見えないようです。

そのため、何が問題なのか、話の焦点は何なのか、今分かっていること分かっていないことは何かといったところが少し分かりにくく、内容がつかみにくかったようです。

 

石黒さんは、今は亡き二代目桂米朝師匠のアンドロイドを作ったそうです。

すべてプログラミングされているものではありますが、落語を演じることもでき、それはビデオの映像とは違って師匠の存在感をそのまま感じることができるものです。

米朝師匠は亡くなっても落語を演じるというものは存在する。

人間というものが何かということを考えさせるものです。

「人間らしいロボットを作る」ということは「人間とは何か」ということを考えるということでもあります。

 

人工生命を作っていこうという研究を進めていると、どこからが生命と言えるか、すなわち「生命としての最低の要件はなにか」ということが問題になります。

しかし、「これは生命ではない」というものは作れそうです。

すると「現在はまだ生命を作ることはできない」ということは言えそうです。

しかし、「これは生命かどうか」とはやはり「どういう視点で見るか」という問題になってきそうです。

このあたり、特に哲学的な話になり分かりにくい所です。

 

さて、本当に人間と機械の違いというものはあるのかどうか。