爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、「半藤一利『語り継ぐこの国のかたち』文庫版解説」

内田樹の研究室」で表題の本の解説を書いた件が書かれています。

blog.tatsuru.com

半藤さんは今年初めに亡くなられましたが、太平洋戦争期の様々な様相について多くの著作があり、また当時の人々の記憶を聞いて回りそれを記録するという活動もされました。

私もその著作の何冊かを読んだことがあります。

 

今回の本は半藤さんの最晩年の著述を集めたものということで、編集者からの依頼で内田さんが解説を書くこととなったそうです。

 

半藤さんは戦争を直接見聞きした最後の世代として、その真実を記録しておかなければならないという強い信念を持ち数々の本を著してきました。

 

内田さんは1950年生まれ、私より数歳年長ですが、その子どもの頃の記憶というものは私もある程度共通したものがあるようです。

幼児の頃に「もはや戦後ではない」などという言葉が言われましたが、実際はそれだけ戦争の爪痕はあちこちに残っていました。

大人は戦争の記憶を強く持っていましたが、あまりそれを語ることは無かったのも確かです。

それは必ずしも被害の記憶だけではなく、加害の場合もあったはずですが、それも外に見せることはありませんでした。

 

しかしそういった人々が徐々に世を去っていく1980年代頃から、「歴史修正主義者」たちが堂々と現れてきました。

これは日本だけでなくヨーロッパでも同様だったようです。

 歴史修正主義は戦争経験者たちの集団的な沈黙の帰結である。どこの国でも、「口にできないほど忌まわしいこと」は口にされない。けれども、それを個人的記憶として抱え込んでいる人が生きているうちは、「口にされないけれど、ひどく忌まわしい何か」がそこにあったことについては沈黙の社会的合意が存在した。ただし、それには期間限定的な効果しかなかった。「墓場まで持ってゆく記憶」を抱えていた人が死ぬと同時に記憶も消える。そして、やがて「なかったこと」になる。それはドイツでも、フランスでも、日本でも変わらない。

 内田さんのこの記述は重たいものですが真実があるということを感じさせます。

そして、「だからこそ半藤さんの『歴史探偵』の仕事が必要だった」と言えるわけです。

 

最後に、半藤さんの信念として、この国は40年のサイクルで国運の向上と転落が繰り返されるということが言われたそうです。

日露戦争勝利にのぼせ上ってから敗戦までが40年、その計算で行くとバブル崩壊が1992年で次の敗戦までがあと10年ほどだそうです。

また国運の転落がやってくるのか、まあ非常に強くその兆候が表れているようです。

 

半藤さんの本は読む価値があると思いますが、金を出して買うかどうか迷うところです。

図書館に入るまで待てるかどうか。