ブログやツイッターなどでネットに発信する人が増えていますが、そういった人々でも突然亡くなるということもよくあるようです。
そうなると、こういった活動はあくまでも個人で行なっており、家族ですら知らないままということで、突然サイトの更新が途絶えたままとなるわけです。
そういった、「故人サイト」とでも言うべきものがかなり目につくようです。
著者の古田さんは、雑誌記者のかたわらこういったサイトの観察といったこともやっており、その状況を広く知らせることは必要なことだと考えたのでしょうか。
そういった「故人サイト」にも色々な事情がありそうです。
「突然停止したサイト」というのは、事故などで本人もまったく予期しないまま亡くなった人のものでしょう。
中には家族や知人らしい人がその訃報を掲示してサイトを閉じるということもありますが、まったく何もされないまま最後の何気ない更新がいつまでも残るという場合も多いようです。
この中には、長野のスキーツアーバスの事故で亡くなった女性のものや、東日本大震災の津波で亡くなった方と推測されるものもあります。
ほんの一瞬前までは夢にも思わなかった最後を遂げるのですが、それまでの何気ないつぶやきが哀れと感じさせます。
「死の予兆が隠れらたサイト」というものもあり、病死の場合などその前触れとも言えるような体調をそのまま書かれているということもあります。
熱中症でダウンしましたと書いた女性がそのすぐ後に脳卒中で亡くなったという例もあり、軽い病気と言う思い込みは怖いということを感じます。
有名な事件の当事者のブログの事例もあり、木嶋佳苗事件の最後の被害者の男性が残したものには、木嶋と知り合って希望を持ったということまで書かれています。
イスラム国にさらわれて殺害された湯川遥菜さん、後藤健二さんもその寸前までのブログを残していました。
「闘病を綴ったサイト」では、ガンの宣告を受けてその闘病記録を綴ったものの、結局は亡くなってしまったという例があり、若くして幼い子を残してという方が数多いということも分かります。
なお、このような故人サイトでは、その後の管理をする人が居ないと荒らされたりして収拾がつかなくなることも多いようです。
有名なサイトであれば多くの人からの追悼コメントが入ったりするのですが、やがてスパムコメントなるものが侵入しそのままにしておくとぐちゃぐちゃになってしまいます。
ここは非常に我が身も振り返って考えさせられるところでした。
何しろ、すでに高齢者の域に入りしかも基礎疾患をいくつも抱えており、コロナにでもかかったらひとたまりもないという身体ですが、このブログをやっているということ自体は妻や子には教えているものの、パスワードすら伝えていませんので、もしもということになればそのままになってしまいます。
財産関係で(ほとんどありませんが)遺言を書いておく必要もそろそろありそうですが、ネット関係の処分方法もきちんと娘に伝えておく必要があるということを痛感しました。
(家内はまったく頼りになりませんので)