私と非常に近い考え方をしていたということで、かつてはお互いのブログを頻繁に行き来していた「雑草Z」さんという方が居ます。
「雑草の言葉」というブログをされていたのですが、何やらトラブルが多発したということで長い間休眠されていました。
しかし、昨年になってようやく復活され記事更新も定期的に行われるようになり、一安心しています。
私とは少し違った興味の対象があるようで、それがまた参考にできる(というか、このブログのネタにできる)というありがたい状態です。
今度の記事で「悟り世代の消費離れ」というお題で書かれていましたが、そこにヒントを頂いて「肉食系」というもにについて考えてみました。
雑草Zさんの考えでは、昨今の「物欲が小さい若者」たちはこれからの社会には合致しており大人たちの称揚するような消費志向、出世志向の人間などはかえって社会を混乱させるだけだということです。
不正確かもしれませんが、この差はいわゆる「草食系」と「肉食系」というものとかなり重なるものと考え、そう表記しておきます。
雑草Zさんも私も、今後の社会は収縮せざるを得ずその後定常社会となるべきだという考えを持っていると思いますが、そのような定常社会では肉食系の人は邪魔なのでしょうか。
そもそも、人類の歴史上定常社会というものがあったのかどうか。
新人類(ホモサピエンス)の誕生から今まで約20万年、人口は徐々に増えていきました。
それだけでも「定常」では無いということですが、そこは我慢しておきましょう。
そのような社会では、やたら頑張って獲物を多く獲ったり果実を必要以上に集めたりするような精力的な人間はかえって困りものだったでしょう。
食料資源が限られている環境ではその再生が可能な以上に獲ってしまえば資源はどんどんと枯渇してしまいます。
ぼちぼちと足るを知り必要十分な量だけを獲らなければ社会の破滅にもつながりました。
しかし、文明が始まり農業社会が広がり、やがて産業社会となるのですが、その拡大の時期には精力的な肉食系人間が求められました。
その他の草食系人間を支配し、生産や戦争に追い立てて勢力拡大を成し遂げようとしたのでしょう。
それが人類の歴史とも言えます。
ところが、地球全体の資源を使い果たそうという状況になり、環境破壊も人類だけでなく生物全体の生存すら危うくするような時代となりました。
このまま乱暴狼藉を許されることはなく、いずれはおとなしくしなければならないのでしょう。
ただし、今後エネルギーも資源も供給が先細りになるのが定常社会なのですが、それでも何にも無くなるわけでがありません
科学技術の成果もあふれるほどあるわけで、それも捨てられるわけではありません。
その社会がどういう形になるのか想像が難しいものです。
おそらくその過渡期にはかなり中途半端な形が長く続くでしょう。
減りつつある果実も独り占めしようとする肉食系が続出する恐れが大きいでしょう。
とにかく、どうも人類がこのまま社会の収縮をおとなしく受け入れるなんていうことがあるはずも無いと内心では思っているので、悪い想像しかできません。
やはり破局的な事件が起き、ほとんど死に絶えるのではと思ってしまいます。