爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「バイオマス発電は持続可能か」って、本当に分からないのか。

日経新聞の記事ですが、「バイオマス発電は持続可能か」と問いかけるものとなっていますが、そんなはずはないということも判らないのでしょうか。

www.nikkei.com

記事の詳細は有料のため最後までは見ることができませんが、まあこの導入部だけで見当は付きます。

 

どうやらこの日経新聞記者だけでなく「持続可能」という意味が分かっていない人が多いのでしょう。

 

持続可能、すなわち永遠とまでは行かなくても(もちろん太陽が寿命が尽きればすべて終わります)、とりあえず人類が存続し続ける程度の長い間、続けることができる活動や状態のことをそう表すことができます。

 

それは具体的にはどういうことなのか。

分かりやすい例では、使えば無くなってしまう資源、化石燃料のようなものを使うことは持続可能ではありません。

金属資源などは使っても再利用はできますがそのためのエネルギーは必要なのでそれが確保されなければ持続可能ではありません。

結局は、一応ここ当分は定常的に流れ込んでくる太陽エネルギーの範囲内で収まる活動であれば持続できます。

 

とはいえ、それを変換して形に残すということは植物の力を借りなければできないことであり、それが光合成による有機物の合成です。

 

植物の生長量を合わせたすべてが地上におけるバイオマス合成の総量となるのですが、その数字は簡単には出せないようで見つかりませんでした。

しかし、このバイオマスには食料や家畜飼料などの重要な用途がありますので、すべてを発電に使えるはずもありません。

また多くはバイオマス発電に使いやすいような木本植物ではなく雑草などの草本植物であるはずで、木材になる量はさらに減るでしょう。

 

バイオマス発電に使えるような木質ペレットなるものにできる木材量などごくわずかと思うべきです。

 

現在から比べればはるかにエネルギー消費量の少なかった江戸時代でも、人間の居住地の近くの森林は徐々に枯渇し禿山と化していきました。

近畿や中国地方の里山なる場所ではかなり樹木の少ない状況になっていったようです。

それと比べておそらく数百倍か数千倍の量が必要となるようなバイオマス発電を行えばあっという間に森林は消え失せることになるでしょう。

 

木材にはそのようなただ燃やすだけというバカげた用途ではなく、紙や木製品、その他の品物の製造といった重要な役割があります。

ただ燃やすだけならなぜ石炭を使わないのでしょう。

石炭はまだかなりの資源量があり、それを使っている間にエネルギー多使用の文明形態から抜け出す道を考える時間を稼げます。

現在は森林の利用が少ないために繁茂しているように見えますが、これを石油や石炭の代わりに燃やそうとしたらどうなるか。

そういったことを少しは考えて「持続可能か」判断してほしいものです。