爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

野焼きも一段落 今年は事故がなくて良かった

「野焼き」といっても、ゴミを野外で燃やすというものではなく、阿蘇や九重などの高原で「草原を守る」と称して行われているものです。

野焼き【阿蘇北外輪山一帯(北山)】大観峰周辺等 – 阿蘇市ホームページ

 

今年も2月から3月にかけて行われましたが、なんとか事故もなく無事に終わったようです。

 

この野焼きというものは、下記に引用するサイトにもはっきりと書かれているように、「自然を守る」ためのものではなく、「自然に放っておいたらなくなる草原を維持する」ためのものなのですが、どうもそれを勘違いしている人もいるようです。

阿蘇の野焼き

 

正確かどうかは分かりませんが、阿蘇ではすでに1000年以上野焼きが続けられ、できた草原で牛馬の放牧などを行ってきました。

自然のままでは農業や牧畜業に使えない土地を利用するために行っているものです。

 

日本では、植生の遷移というものが進めば必ず森林になります。

それを極相というのですが、これが西日本の場合は照葉樹林東北日本ではブナ林となります。

 

 

同様に、自然を人間ができるだけ利用しやすいようにしたものが「里山」と呼ばれるものです。

かつては、里に近い森林から間伐材や下草を採取し、薪や堆肥として使ったものでした。

その地で循環すべき栄養分を取り去るのですから、徐々に地中の栄養分は減少していきます。

そのような環境が里山というものであり、決して自然な環境ではありません。

 

ついでながら、アカマツは日光が多くなければ生えず、また栄養分が少ない土地を好むために不毛に近づいた里山にも良く生える樹種でした。そのアカマツと菌根共生しているのがマツタケで、これも自然そのままのところでは生えにくいものです。

 

このように、自然を巧妙に使いこなしてきたのが人間だったのですが、それが本当に「循環社会」かどうかはそこからの収奪資源の量に依存します。

あまり多く取り去れば循環は不可能になります。

現に江戸時代後半には里山は禿山になってしまったところも多かったようです。

自然と上手く付き合うことはなかなか簡単なものではないようです。