この本はいつも通っている市立図書館で、「ご自由にお持ちください」というコーナーに置いてあったものを貰ってきました。
定期的に蔵書を見直し、廃棄するものを希望者に無料配布するということのようです。
まあ、ただなら良いかと思って持ってきました。
どうやら山口県下松市の郷土史家らしき人が自費出版したもののようで、印刷所も下松市の「佃印刷所」、ISBNコードもついていません。
それがなぜ当地の市立図書館にあったのか。
まさか購入したはずもないしと思いましたら、著者あとがきに「郷土史をはみ出した内容があるので、各地の図書館にお贈りした」と書かれており、相当な思い入れがあったようです。
まあ、おそらく各地図書館でも困ったかもしれませんが。
内容は、相当に思い込みが激しいものですが、郷土愛ということで大目に見ておきます。
下松市には山陽新幹線が通っているのですが、その建設工事の際に市内の宮原台地というところで「轡」が出土したそうです。
これに着目した著者はその研究に邁進します。
時代は3世紀後半と推定されますが、プロの考古学者たちの興味はひかなかったようで、誰もそれについて言及した人はいませんでした。
しかし、著者はそれが正倉院御物の「うばら轡」というものと類似していることに着目します。
実はこの下松の轡が正倉院のものと似ているということは、当時の考古学会でも発見されており、下松の物も「うばら轡」と呼ばれるのですが、それ以上の考察はないまま放置されました。
正倉院のものは、東大寺建立の際に茨城県付近で作られたものが献納されたもので、8世紀の作と考えられます。
それが、なぜ山口県で、しかも400年以上も前に作られたものと類似しているのか。
そこから著者の思考は浮遊します。
この轡の形状は、古代ペルシャのパルティアに由来するものと考えました。
そこから各地に渡って行った氏族の末裔が、下松に渡来した鷲頭氏であると考えたのです。
鷲頭氏は製鉄技術を伝えたのですが、下松に豊富な砂鉄資源があることに気づき、ここに定住し製鉄業を興したということです。
その後、執念で下松各地を探し回り、製鉄業の副生物である鉄滓も見つけました。
その際、同じところから文字入りのガラス片も見つけ、これも当時のものであろうと判断し各地の博物館に問い合わせをしていますが、どこからも極めて冷たい反応しか返ってこなかったようです。
こういった内容の郷土史本ですが、自費出版とは言えかなり良質な紙を使い、印刷もきれいにできています。
相当な費用がかかったと思いますが、これが著者の生きがいであったのでしょう。
まあ、ほとんどの各地図書館でもほぼ無視されたのでしょうが、ここにその跡を残しておきます。