クラシック音楽の華とも言える、オーケストラ。
その圧倒的な音の洪水に浸ることが喜びと言うファンも多いことでしょう。
しかし、かなりのマニアになっても、オーケストラについてあまり詳しい情報に触れることはできないようです。
そういった、マニアの「知りたい」欲を満たしてくれるようなものがこの本です。
音楽批評家として多くのオーケストラの内情にまで詳しい著者が、それを事典的につづっていったエッセイです。
一つ一つの事柄について、具体的なオーケストラ、演奏者、指揮者の名前を挙げそのエピソードを紹介し、あたかもそのリハーサルの会場で楽団員たちの私語を聞いているかのような感覚にしてくれるというのは、読者の覗き見願望を満足させてもらえるものかもしれません。
私自身は音楽はよく聴くもののほとんどがポピュラー音楽ばかり、クラシックはたまに気まぐれで聴く程度で、知識もそれほどはありません。
オーケストラの楽団員という人々が、一流の演奏家でありそれが一糸乱れぬ演奏を繰り広げるから交響曲というものは素晴らしいのだろうという先入観はあるものの、詳しい実情などはさっぱり分かっていなかったので、本書の第一部の「オーケストラの奏者たち」はそれを説き明かしてくれるものでした。
クラシックの演奏家といっても、ソロ活動ができるのはごく一部、その楽器も限られているようです。
オーケストラに所属することで、自分の好き勝手な演奏スタイルを通すことはできなくても、ある程度の収入をしかも安定して得ることができます。
ただし、特に弦楽器のようにオーケストラの中でも大勢で同じ音を出す場合と言うのは個性を出すわけには行きません。
首席奏者のソリストはその機会があっても、その他大勢?トゥッティストたちは協調性を第一に揃って演奏することが求められます。
なお、管楽器の場合は事情が異なり、オーケストラの中でもほとんどの人は一人だけで演奏する部分が多く、ソリストとしての性格が強まるのだそうです。
最近ではかなり変わってきたのかもしれませんが、同じ楽団員といっても楽器によって出身階層が異なるということがあったようです。
ヨーロッパでもやはり弦楽器の奏者は中流以上の階層出身者が多く、管楽器は労働者層出身ということがありました。
これは、楽器演奏の特性から由来しており、ヴァイオリンなどは5歳くらいから練習を始めてプロになるには20年以上もかかるということが普通で、これは労働者階級の家庭では手に負えません。
管楽器の場合はあまり幼児の頃から始めるわけにもいかず、少し大きくなってから練習を始めて早ければ5年くらいでプロ級になることも珍しくありません。
また、ブラスバンドという活動が広く行われているのも一因になるようです。
「楽団員の悪夢」というコーナーでは、コンサートでの大失敗のエピソードが紹介されています。
スイス・ロマンド管弦楽団のホルン奏者グレゴリー・ケースはチャイコフスキーの交響曲第5番を演奏するその時に楽譜をめくったらソロパートのページが抜けていたのに気づいたそうです。
しかたなく、記憶を頼りに演奏を始めたとか。
一方、ボストン交響楽団のヴァイオリンのローランド・タブリーはコンサートが始まってから自分の楽譜の中にティンパニの楽譜の1ページが紛れ込んでいるのに気づきました。
ティンパニ奏者のロマン・シュルツを見ると途方にくれたような表情です。
そこで、すぐにそのティンパニの楽譜で紙飛行機を折り、ロマンに向かって飛ばし無事に足元に届いたとか。
指揮者のフリッツ・ライナーはタブリーは頭がおかしくなったと思ったそうです。
各種楽器についての記述も詳細で、しかもその名演奏者を昔から現在まで紹介するという非常に懇切丁寧なものになっています。
しかし、特に管楽器がこれほどまでに種々多彩であるとは知らなかった。
トランペットの形式が国によって違うということは気付いていましたが、クラリネットもファゴットも大差があるということです。
バスーンという楽器名は聞いたことがありましたが、それがフランス式のバソンであり今ではドイツ式のファゴットに取って代わられたということは初耳でした。
オーケストラと言うものを彩るもう一つの華、「指揮者」については本書はさほど多くは語っていません。
指揮者についての書籍は他にもいくらでもあるからというのも一つの理由でしょうが、本書はあくまでも楽団側の立場から見たものであるからでしょう。
しかし、ほんの少しですが指揮者にまつわる混乱ぶりなども書かれています。
新任指揮者がオーケストラに着任すると楽団員たちはリハーサルのはじめで彼の力量が分かってしまい、それによって対応を変えるそうです。
能力のある大指揮者であればその指示を尊重し協力して素晴らしい演奏を作り上げていくものの、そうでない場合は徹底的にバカにしてその演奏だけをなんとか済ませてオーケストラから放り出そうとするとか。
さて、この本を読了しそれではオーケストラの名演でも聞いてみようという気になるかどうか、それは読者の音楽好きの程度によるのかもしれません。