爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「亡国の集団的自衛権」柳澤協二著

著者の柳澤さんは防衛庁に入庁後諸局長を歴任、2004年から2009年までは内閣官房副長官補として政府中枢でも活躍されたという、防衛政策に関してはこれ以上ないほどの専門家と言えると思います。

その著者が安倍内閣が進めた安保法制整備、とくにその中核となる集団的自衛権について今年の1月に本書を出版し、厳しく批判していました。

その論拠は、実は私が断片的な報道から考えてきたものとかなり近いものと思われ、自分自身少々自信を深めました。

ただし、一つ異なる見解があり、私自身はこの安保法制整備と言う安倍内閣の暴挙はあくまでもアメリカからの指示(命令と言った方が良いかも)によるものだと考えていますが、柳澤さんはそのような指示はなく、アメリカの意志を過剰に読み取った安倍政権がアメリカの考える以上の法制を作ろうとし、アメリカとしても迷惑に感じていると書いておられます。

その柳澤さんの見解が正しいのかどうか、判断できる材料はありませんが、どちらでもまあ法制成立した今となってはあまり状況に変わりはないかもしれません。

 

それでは本書に書かれていたことについて紹介していきます。

 

法制提案にあたり政権が説明に使った数々の論拠があります。

「友達が殴られているときに黙って見ているのか」

友達と一緒に相手に殴りかかるというのが集団的自衛権ですが、選択肢は他にも多数あります。殴られるような場所に行かないように忠告する。これはイラク戦争の時のフランスの態度です。

さらに、友達が殴られたのは実は先に友達が殴ったからかもしれません。この時は友達を諌めるべきです。この視点も安倍には欠けています。

さらに「友達」は殴り返すことを求めていないかもしれません。この「友達」な殴られるような状況を作り出して本格的な殴り合いに持ち込むのが大好きです。

 

「日本人の救出に集団的自衛権が必要」

これは集団的自衛権とはまったく関係のない話で、それ以前に日本の政府が責任をもって日本人を救出しておかなければならないということです。

「大国化する中国との最悪の事態」

中国が尖閣諸島などに進出してきたとしてもそれに対処するのは「個別的自衛権」で十分なはずです。アメリカとの集団的自衛権などは必要ありません。

 

集団的自衛権で抑止力を向上させる」

これを一番強調しているようですが、実は「何をどう抑止するか」ということについて、日本とアメリカで意識のズレがある可能性が強いということです。

集団的自衛権で何をしたいのか、アメリカと日本の合意がされていないのではないかと言う疑いが強いそうです。(これが私と著者との見解のズレが大きいところです)

日本が抑止したいのは中国がベトナム沖でやっているような実力で現状変更ということを止めたいということでしょう。しかし、これはアメリカの政策とは一致していないということです。ベトナム沖の事態も軍事紛争ではないとアメリカは見なしており実際に何にも対応をしていません。

尖閣諸島で同様の事態となってもアメリカの態度は同じであるという懸念が強くあります。

本来は抑止の目標と言うのは同盟国間で共有されていなければなりません。それがきちんと協議されず、集団的自衛権というものだけに前のめりで進んでしまっているのが現状です。

 

このようなおかしな論拠のまま、昨年7月1日には安保法制整備のための憲法解釈変更という閣議決定がなされました。これについては法律学者からも大きな批判を浴びていますがその内容についても言葉の意味がしっかりとしておらず、現実性のない例ばかりが挙げられ机上の空論、欺瞞の論理がまかり通っています。

どれも「我が国の存立を脅かす」ような事態ではなく、また国際貢献にも集団的自衛権は必要ありません。

 

安倍の言っているような「アメリカに協力することにより日米同盟を強化する」ということも、実はすでに「同盟のバランスはとれている」というのが実情です。

アメリカは日本に多くの基地を持ち、さらにそれに対する日本からの維持費も受け取っています。その基地の運用はあくまでもアメリカの世界戦略のためだけに考えられており、日本のためのものではありません。それをきちんと計算すれば日本はすでに多くの貢献をしている(させられている)ことになります。それ以上に「日本人の血を流す」必要はありません。

 

尖閣諸島をめぐる問題が激化してもアメリカが本当に介入するでしょうか。アメリカの軍隊の機関紙「スターズアンドストライプ」には「無人の岩のために俺たちを巻き込むな」と言う論評があったそうです。

人が住むわけでもなく、戦略的な価値もほとんどない尖閣諸島にアメリカが兵力を投入することなどアメリカの論理としてはありえないことのようです。

 

最終章は日本の取るべき道を広く語っています。日本はどういう国であり、どのようなアイデンティティを持った国であり続けたいのか、それを維持するためにはどういう世界であってほしいのかを議論しなければなりません。

これまでは「戦争できない日本」が成功を収めてきたと言えます。しかし、これからそのままで行けるかどうか分かりません。「憲法を守る」だけでは議論が足りないようです。

軍需産業成長戦略にしようなどという人たちもいるようです。しかし、日本の軍需産業など実戦では使い物になるかどうか怪しいものばかりだそうです。自衛隊で使っているといったも実戦経験はありません。

 

しかし、アメリカ・中国にできないことというのはいくらでもあります。これまで70年一発の弾も発していないというのは優位性でありそれを活かすのは今しかないのです。

 

若干の見解の相違はあったものの、非常に説得力がある主張が展開されており、また文章も分かりやすい表現であったと思います。今後の参考となる本でした。