爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「球団格差」小川隆行+格差検証委員会

日本のプロ野球はかつては巨人一辺倒、あとはその他大勢といった状況が続きましたが、最近ではセリーグでも他球団やパリーグが元気が良いと言う話も聞きます。

 

しかし、それでも球団の間の格差と言うものはかなりありそうな雰囲気ですが、それをはっきりと数字で出してしまおうというのが本書で、プロ野球を対象にした評論などを多く手がけている小川さんを中心に、各球団の実情を示してくれています。

 

球団の売上高と言うのが一番の差がありそうなところですが、これは公表されている部分が少なくはっきりとはしないようです。

さらに、親会社という存在も大きく、そこからの資金も馬鹿にはなりません。

試算の結果、やはり巨人が一位ですが、集計の方法によってはソフトバンクが上という結果もあるようです。

ダントツの下位はオリックス・ヤクルト。

 

選手がいくら貰っているか、これも公表されてはいませんが、ある程度確実なデータは選手会調査結果として出されています。

これは2016年出版の本ですので、現状とは少し違いがあるかもしれませんが、この時点ではなんとソフトバンクが巨人を追い抜いて選手年俸総額1位。

わずかな差で2位の巨人からは相当離れて3位は阪神ですが、DeNAが大きく差をつけられ最下位。ソフトバンクの三分の一程度です。

 

FA制度というもので、ベテランの移籍をやりやすくしていますが、FA制度が導入されたのが1993年、そこから2015年までの移籍結果を集計しています。

FA獲得数がダントツの1位が巨人。20人を獲得しており、2位の阪神ソフトバンクの倍になります。

2002年オフからはポスティングシステムアメリカ大リーグへの移籍者が増えたため、FAで国内移籍と言う選手は少なくなり、巨人の獲得数も少なくなりますが、それまでの貯金が効いてしまいました。

 

ただし、FA移籍には資金力とともに、各球団の戦略も大いに関わっており、FA選手を獲得するという意欲が少ないのが広島と西武。

そして日本ハムは「まったくFA獲得せず」という方針を貫いているそうです。

 

かつてのテレビ放映権頼りの経営という状態から、かなり変化してきましたが、球場に客を呼ぼうという意識が高いチームとさほどではないチームの差もあるようです。

球場グルメ、イベント、グッズ販売等に力をいれ多くのファンを集めるというのが経営状態を左右するようになってきました。

DeNAなどは観客数はまだ少ないものの増加率が高いようです。

 

選手と女子タレント・アナウンサーの結婚数比較と言うのもありました。

巨人がやはり1位のようですが、ソフトバンク、広島も健闘。

とくに、地元局アナ・タレントと言うのが福岡、広島、名古屋で結構あるようです。

 

まだまだ馬鹿にならない野球人気。しかしその内情にはチームごとに大きな差がありそうです。

 

球団格差

球団格差

 

 

「東方ユダヤ人の歴史」ハイコ・ハウマン著

イスラエルの地からローマ帝国によって追われたユダヤ人は、各地に散っていきました。

ローマ帝国の内部に向かい、北アフリカからスペインにかけて広がった人々はセファルディームと呼ばれ、トルコからギリシアイタリアを経由してドイツに向かった人々はアシュケナジームと呼ばれました。

ポーランドなどの東ヨーロッパにはさほど多くのユダヤ人は行かなかったようです。

 

しかし、中世から近世になると西ヨーロッパの多くの国でユダヤ人の迫害が頻発します。

そのため、それらの国を逃れてポーランドなどに避難するユダヤ人が増加しました。

ポーランドは西ヨーロッパの国々と比べると社会構造の変化が遅れており、領主と農奴同然の農民がほとんどという状態でした。

そこに、中間的な存在となりうるユダヤ人は便利な存在として領主にも歓迎されたようです。

 

16世紀という近代に近づく時代にユダヤ人たちはポーランドなどの地で一定の成功を収めました。

ごく少数の上層部に食い込めた人々の他に、小商人や金貸し、仲買人、手工業者といった社会の中間層として確固たる地位を築くことができました。

 

ユダヤ人の常として、そのような境遇であってもユダヤ教の教えを守り、男性はユダヤ経典の勉強に励むという生活を続けたために、その地域の社会とは同化すること無くユダヤ社会を維持し続けることになるのですが、それが地域社会の変化とともに大きな影響をユダヤ人たちが受ける要因となります。

 

ポーランドをめぐり、ロシアやドイツによる侵略や分割といった動きは、社会構造の大きな変化に繋がり、現地住民たちの変化も引き起こします。

その状況では、ポーランド人自らがそれまでユダヤ人に任せていた役割を奪い取ろうとします。

そこにはユダヤ人に対する反感も強まり、ユダヤ人迫害や排斥といった動きも出てきます。

 

そうして、ごく一部の上層ユダヤ人以外はほとんど職業を失い、収入も激減するということになります。

そのため、アメリカなど新天地に逃れる人々や、ロシアで革命に加わると言った人々の動きも起こりました。

その後はイスラエル建国後にそこに向かう東方ユダヤ人も多く出てきます。

 

ユダヤ人の歴史を見ていくとき、東方のユダヤ人というものは忘れることができないもののようです。

 

東方ユダヤ人の歴史

東方ユダヤ人の歴史

 

 

「似ている日本語」佐々木瑞枝著

日本語でも他の言語でも同様だと思いますが、「同義語」というものは数多く存在します。(”同意語”も同義?)

それを知らずに同じ言葉を何度も繰り返しているのは、教養が少ないと見られることにもなりかねません。

 

ただし、一見「同義語」のようであっても、意味が微妙に異なるとか、使用法が少し違うということもあります。

教養をひけらかして、同義語のつもりで少し違う言葉を使って馬脚を現すということも良くあるパターンです。

 

この本は、日本語学、日本語教育学等の専門家の佐々木さんがそのような「若干違う言葉」のカップルを解説しています。

 

まあ大体の言葉は微妙な違いも含めて知っていたので一安心ですが、いくつかを紹介してみます。

 

「さっぱり」と「からっと」

どちらも”不必要な物事を処理し、さわやかな気持ちでいること”を表している点では共通です。

しかし、「さっぱり」には性格や味覚がしつこくないことも言う。「からっと」は湿り気の無いこと、明るさも伴う。ということです。

 

「さまよう」と「さすらう」

「さまよう」は迷って目的地を見いだせない場合。

「さすらう」は目的地無く歩き回る様子。

 

「本心」と「本音」

「本心」は隠れている本当の気持ち。

「本音」は隠れている本当の気持ちを言葉に出して言うこと。

 

「不仲」と「不和」

どちらもお互いに仲が良くないことを言う。

ただし、「不仲」は個人と個人との関係に使われる。

「不和」は企業と企業の関係、国と国との関係、家庭内の人間関係などに使われる。

 

まあ、少しでも勉強して教養をひけらかしましょう。

「労働ダンピング 雇用の多様化の果てに」中野麻美著

本書出版は2006年、小泉内閣による規制緩和という名のもとに労働条件の悪化が進められていた頃でした。

 

雇用の多様化という美名を用いながら実際は望まない条件に追い込まれる人々が相次ぎました。

まさに、「労働ダンピング」と呼ぶのがふさわしい状況でした。

それから10年以上、状況はさらに悪化の一途をたどり、格差拡大が大きな問題となっていますが、格差をもたらす主因はまさに雇用のダンピングでまともな生活も送れないよう収入しか得られないようになったためです。

 

本書第1章に書かれている「今なにが起きているか」

現在から振り返ればまさにその当時が転換点であったかもしれません。

ちょうどそのころに「雇用の融解」が起きていました。

正規雇用で賄われていた業務を派遣や請負化を進め、労務費削減を目指す動きが蔓延し、それに伴い正規雇用者の給与も下降、さらに長時間労働化も止められなくなりました。

「正規も地獄、非正規も地獄」(この句は本書中にはありません。自分で作りました)

 

規制緩和と称する改革でどうなるか、すでに当時は明確な実例が存在しました。

ニュージーランドでは、改革導入の前には「アウォードシステム」という制度が機能し、労働側の意見を十分に取り入れた状況が存在していたそうです。

しかし、経営側のコスト削減の要望が強まり、1991年に雇用契約法が施行され、アウォードシステムは一気に壊滅してしまいました。

労働組合もあっという間に弱体化し、女性や先住民の労働条件は悪化しました。

このような状況を見て、1999年の選挙で雇用契約法を推進した国民党は大敗し労働党などが政権に復帰、政策を変更したそうです。

 

日本の雇用環境悪化を明らかに推進しているのが、公共セクターです。

公共サービスを担う国や自治体が他に先駆けて非正規化を進め、人件費削減を強力に推し進めています。

それまでも臨時職員化を進めてきた自治体が、さらに請負、委託へと民間に先駆けて実施してきました。

何にでも競争入札を実施し、少しでも安いところに請け負わせることがこのような事態につながりました。

 

政府や自治体が公正な労働基準というものを確立しなければ悪質業者の取り締まりもできないでしょう。

まあ、政府が一番悪質ということは間違いないのかもしれません。

 

格差拡大ということが大きく言われていますが、それをどうにかするためには、この「労働ダンピング」という問題をなんとかしなければならないのは当然です。

 

労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)

労働ダンピング―雇用の多様化の果てに (岩波新書)

 

 

「岡田英弘著作集Ⅰ 歴史とは何か」岡田英弘著

岡田英弘さんの著作は、若い頃に「倭国」という本を読み、その東アジア全体に視線を送りながら日本の状況を見るという姿勢に大きく影響を受けました。

sohujojo.hatenablog.com

その岡田さんの著作集全8巻が、いつも行く市立図書館にありましたので、その第1巻を読んでみました。

全集の最初ということでしょうか、「歴史とは何か」という基本的な歴史観を語った文章を集めたというもののようです。

また、岡田さんの経歴から学問の進め方というところも書かれており、その姿勢が成り立った経過も分かりました。

 

岡田さんは終戦直後に大学進学の時期を迎え、どこに進むか迷ったうえで東洋史学を選んだそうです。

そして、最初は朝鮮史を学びその後満州からモンゴルといった地域を専門としていったとか。

それで、あのような独自の歴史観というものが得られたと理解できたとともに、史学会という中では異端者であろうということも分かりました。

 

日本の歴史学は、日本史(国史)と世界史という枠組みで進められてきました。

世界史は西洋史東洋史とに二分されています。

しかし、西洋史と言いながらその内容はほぼヨーロッパのみ。その前段階と位置づけてギリシア・ローマを論じるだけです。

東洋史はシナ(岡田さんは「中国」という呼び方は不正確であり、「シナ」と呼ぶべきとしています)を扱うのみで、その他の地域はシナとの関連でしか扱いません。

そして、日本史、西洋史東洋史のいずれもがその他の2つとはまったく関連を持たず、好き勝手にその内部だけで進められているとしています。

 

しかし、その実態は、「世界史はモンゴルの制覇から始まった」ということです。

モンゴルがシナ全域を制覇し、中央アジアからロシア、中東、ヨーロッパの東端まで制覇したことによって、それ以外の地域も含めて一つの世界というものになったからという理由です。

資本主義というものも、その原型はシナの宋王朝時代に成立したのですが、それを滅ぼしたモンゴルが中東から東ヨーロッパに持ち込み、それに影響を受けたイタリア諸都市が取り入れたのがヨーロッパ資本主義の始まりとなったという解釈です。

 イタリア・ルネサンスもヨーロッパ文明から見ればオスマン・トルコによりコンスタンティノープルが陥落させられ、多くの学者がイタリアに亡命してから起きたとされていますが、実はモンゴル帝国の影響で起きたと見られます。

 

世界史といっても、世界の諸文明を見た時に「歴史を持つ文明」と「歴史を持たない文明」とがあるということです。

歴史を持つ文明とは、西ヨーロッパと日本です。

西ヨーロッパは、ギリシアのヘーロドトスの歴史観からユダヤキリスト教歴史観を含み発展した歴史を持つということです。

日本では、シナの司馬遷が作り出した史記歴史観を取り入れ、それを発展して歴史を作り出しました。

 

一方、歴史を持たない文明とは、アメリカ、ロシア、中国です。

アメリカはヨーロッパの旧世界を捨てて移住した人々が作った国で、いわば歴史を捨てイデオロギーだけで作った国です。

ロシアはその成立から混迷しており、アイデンティティも不確実です。さらに、13世紀からモンゴル帝国に支配されており、通説と異なりその完全な支配下に置かれていました。

それから抜け出したのはせいぜい18世紀ということです。

中国も、ほとんどの王朝は北方の遊牧民族が立てたものであり、漢人の国家は宋王朝で終わり明王朝以降もモンゴル文明の一部に過ぎないという解釈です。

清王朝を倒して以降も、日本の真似をしたりソ連の影響下に入ったりと、典型的な「歴史を拒否した文明」となっています。

 

さらに典型的な歴史のない文明というのは インド文明だそうです。

古代から都市文明を持っていますが、歴史を記述したことがなかった。

インド史が書かれたのはイギリスが入ってきて東インド会社を作ってから後だそうです。

 

歴史を作り出したといっても、ギリシアのヘーロドトスとシナの司馬遷はその内容に大差があります。

ヘーロドトスは「ヒストリアイ」という本を書き、それが歴史を著しているということで、ヒストリーという英単語までつながることになりました。

しかし、ギリシア語の元の意味では「ヒストリア」は形容詞の「ヒストリア」から来ており、それは「知っている」という意味だったそうです。

そこから名詞化して「ヒストリア」は「調べてわかったこと、調査研究」という意味になりました。

ヘーロドトスは、ギリシア人とペルシア人が戦ったことを調べてわかったことをこの本に書いたのでした。

その主題は「アジアとヨーロッパの戦い」を書き残すことであり、しかもヨーロッパが最後には勝つということでした。

(ここで言うヨーロッパとはギリシアのことであり、アジアは現トルコのこと)

 

司馬遷が書いたのは「史記」ですが、これを「歴史の書」としたのは後世であり、もともとは司馬遷漢の武帝に仕えた「太史令」であり、その太史令が書いた書と言う意味でした。

史とは当時は帳簿を書く人ということであり、いわば帳簿係ということです。

そして、司馬遷が書いたものも正統な王朝の記録を残すというのが本来の目的であり、史記にはそれ以外のものは書かれていないということです。

史記は本紀、列伝などで構成されていますが、本紀はもちろん王朝の正統性を記述しており、さらに列伝も一見したところその時代の特色ある人々を描いているようで、実際は彼らと王朝との関わりだけを書いているということです。

 

岡田さんはやはり異色と言える歴史家であると言うことがよく分かる内容でした。

ただし、「歴史」というものをかなり厳格に捉えられているためか、「人間」が関わるもの以外は「歴史」ではないという姿勢が頑なであり、「宇宙の歴史」とか「地球の歴史」なんていうものに「歴史」という言葉は使えないという意見には少し困ります。

地球の歴史というものも確かに存在し、それを何らかの言葉で表現しなければなりませんので、意味は違うのでしょうがやはり「歴史」としか言いようがないと思います。

 

 

 

「移住・移民の世界地図」ラッセル・キング他著、竹沢尚一郎他訳

ヨーロッパ全体が移民により揺り動かされ、アメリカでも移民圧力が強まり、日本でも移民に扉を開けるかと言われています。

このような世界の情勢を、移民の軌跡から見ればどうなるか。

現在の世界の動きだけでなく、歴史的な移民の動きまで、詳細な地図の上で矢印で記されているために、感覚的につかめるようになっています。

 

最初の図は、ホモ・サピエンスがアフリカ東部に発して世界中に広がっていく、おなじみのものです。

出アフリカが、エジプトを通って行ったのか、そこから直接ヨーロッパに入ったのか、東アジアには中央アジアから北回りで来たのか等々、少々疑問もありますが、まあ細かいところをあれこれ言うようなものではないのでしょう。

 

これを見れば、人類すべてが「移民」であることが分かります。単に先に来ただけのものが後から来るものを排斥できるのかどうか、それを感じ取ることができるかどうか、人によるのでしょう。

 

強制的な労働移住では、16世紀から19世紀までの大西洋奴隷貿易というものが圧倒的なものを見せてくれます。

主に南西アフリカから大きな矢印が中南米から北米にまで向かっています。

人類史上で考えてもこれが大きな移動であることが直感的に理解できます。

 

それと同じくらいに大規模であったのが、19世紀末から続いた「年季奉公者」という人々の移動です。

奴隷とは言えないものの、経済的に困窮した、中国人、インド人などがアメリカやブラジルなど、そしてインド人の場合は特に南アフリカなどへ向かったことが分かります。

 

アメリカへの、最初の移民に遅れを取った、アイルランドやイタリア、東ヨーロッパからの移民も大規模であり、またアメリカ国内の移住をも引き起こしました。

 

15世紀からのヨーロッパ諸国によるアフリカ、アジア、アメリカの植民地化に伴うヨーロッパ人の移動も数は少ないものの大きな影響を生みました。

ただし、その内容は国によって大きな差があり、イギリスはあくまでも支配者層の派遣にとどまり現地との融合は起きなかったのに対し、スペインは派遣されたのが男性ばかりで、それが現地人女性との間に混血児を作り、現代に至るまで多くのメスティーソインディオとスペイン人の混血)を産み、クレオール文化を作りました。

 

経済的な理由からの移動である移民ばかりでなく、政治的、軍事的要因から移動を強いられる難民と呼ばれる人々も多数発生しています。

その受入に対しては、国によって姿勢が違い、多数の難民の定住を許す国もあり、日本のようにほとんど受け入れない国もあります。

一般的な印象では、難民受け入れに積極的なのはヨーロッパや北米というイメージがありますが、実はこれまでに多くの難民を受け入れてきたのはパキスタンとイランだそうです。

 

そして、一度は難民として国を離れても、その状況が改善すればやはり帰国したいと願うようで、アフガニスタンを逃れた難民のパキスタンやイランからの帰還という事態も起きているようです。

 

労働者の移住という面では、男女の違いも明白であり、肉体労働を行う男性と、家事や介護などの女性とでは出身国や行き先も異なります。

フィリピンはこういった女性労働者を多数送り出しており、その行き先はサウジアラビアなどの中東各国の他にもアメリカやイタリアに多く在住しています。

また、女性が結婚相手として移住する結婚移民というものも存在し、かつては日本にも多数の女性が来日しましたが、現在では韓国が多くの結婚移民の女性を受け入れているようです。

 

日本でも感覚的に外国人が増えたという印象がありますが、様々な人々が国際的に移動をしているということなのでしょう。

 

移住・移民の世界地図

移住・移民の世界地図

 

 

「それっ! 日本語で言えばいいのに!!」カタカナ語研究会議監修

意味が分かっているのかいないのか分かりませんが、カタカナ語という言葉があちこちで飛び交っています。

 

その特に目立つ状況が、本書の区分けにもなっているように「ビジネス現場」「意識高い系パーソン」「IT業界」「メディア業界」でしょう。

本書には取り上げられていませんが、「政府・行政機関」というのもひどいところです。

 

この本では、そういったところで頻発する「よくわからん外来語のカタカナ語」を取り上げ、その誤用例をマンガで、日本語できちんと言い直す言い方、そしてその言葉の本来の意味を解説という構成です。

この本を見れば、これまでいい加減に使っていたカタカナ語の本来の意味や使い方も分かりそうです。

 

ただし、その「本来の意味」が分かったとしても、やはり「日本語で」言い直す方が良さそうです。

 

本書「はじめに」のところに書いてある挿話が面白い。

筆者が先日とある外資系企業の担当者と打ち合わせをしたそうです。

先方の2名と3人で話していたのですが、先方は一人がアメリカ人、一人が日本人。

その日本人の担当者が、やたらにカタカナ語を駆使して話してきました。

ちょっと意味が分かりにくいと思っていたら、アメリカ人の方が口を開いて、「日本語で簡潔に、噛み砕いて」説明してくれたそうです。

そのアメリカ人担当者は、カタカナ語というものをほとんど使いませんでした。

それでかえって、話の内容がとてもよく理解できたということです。

 

このように、おかしなカタカナ語の使用が蔓延している理由は、「おわりに」のところにまとめられています。

日本人は他の(非英語)先進国と比べても英語への劣等感が強いようです。

学校で最低6年間は英語を習っているのに、会話もままならない。

そこで、カタカナ語の登場です。これを自由自在に?使うことで劣等感を消してくれると思っている人が多いようです。

しかし、言葉は思いを伝えるためのものであり、自己満足の道具ではなく、相手に正確に伝えることが大事です。

 

それでは取り上げられているカタカナ語で、間違いやすいものをいくつか紹介します。

 

ジャストアイデア これを褒め言葉と間違えている人がいるようです。

英語の Just an idea に由来しますが、これは「ただの思いつき」という意味ですし、カタカナ語を海外で話しても通じません。

 

バイラル あまり聞いたことがなかったのですが、IT業界で使われるとか。

ウイルスという言葉の形容詞型で、感染力の強いウイルスが瞬く間に広がる様子から、SNSなどでの口コミを指すようになりました。

 

クラウド これもネットでよく使われています。

「ネットワークを通してソフトやハードの利用権を提供するサービス」を意味しており、cloud(雲、集団)に由来する言葉です。

なお、「クラウドソーシング」や「クラウドファンディング」といった言葉に使われる「クラウド」は「crowd」(群衆・大衆)であり、まったく異なる用語です。

 

せめて、誤用は避けて恥をかかないようにしたいものです。

 

それっ! 日本語で言えばいいのに!!

それっ! 日本語で言えばいいのに!!