日本語でも他の言語でも同様だと思いますが、「同義語」というものは数多く存在します。(”同意語”も同義?)
それを知らずに同じ言葉を何度も繰り返しているのは、教養が少ないと見られることにもなりかねません。
ただし、一見「同義語」のようであっても、意味が微妙に異なるとか、使用法が少し違うということもあります。
教養をひけらかして、同義語のつもりで少し違う言葉を使って馬脚を現すということも良くあるパターンです。
この本は、日本語学、日本語教育学等の専門家の佐々木さんがそのような「若干違う言葉」のカップルを解説しています。
まあ大体の言葉は微妙な違いも含めて知っていたので一安心ですが、いくつかを紹介してみます。
「さっぱり」と「からっと」
どちらも”不必要な物事を処理し、さわやかな気持ちでいること”を表している点では共通です。
しかし、「さっぱり」には性格や味覚がしつこくないことも言う。「からっと」は湿り気の無いこと、明るさも伴う。ということです。
「さまよう」と「さすらう」
「さまよう」は迷って目的地を見いだせない場合。
「さすらう」は目的地無く歩き回る様子。
「本心」と「本音」
「本心」は隠れている本当の気持ち。
「本音」は隠れている本当の気持ちを言葉に出して言うこと。
「不仲」と「不和」
どちらもお互いに仲が良くないことを言う。
ただし、「不仲」は個人と個人との関係に使われる。
「不和」は企業と企業の関係、国と国との関係、家庭内の人間関係などに使われる。
まあ、少しでも勉強して教養をひけらかしましょう。