爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「偽装死で別の人生を生きる」エリザベス・グリーンウッド著

偽装死、すなわち自殺や事故、殺人被害者などとなって死んだと見せかけ別の人間になりすまして生きていくということです。

日本でもあることなのかもしれませんが、アメリカでは結構あることのようで、事件として有名なものもいくつもあるようです。

 

著者のグリーンウッドさんも、大学と大学院時に借りた学資ローンが10万ドルにもなってしまい、これを返し続ける人生がどういうものかと想像しただけで嫌になり、偽装死をして別の人生ができないかと考えてみました。

(という、本の構成になっていますが、本当かどうかは知りません。脚色かも)

 

イギリスのストックトンというところで刑務所の刑務官をしていた、ジョン・ダーウィンは借金を抱えておりなんとかしたいと思いました。

そこで、妻と共謀し自分に多額の保険金をかけ、カヌーで海に出たまま遭難したように見せかけ、他人になりすまして海外に出ました。

しかし結局は出頭し逮捕されました。

 

マイケル・ジャクソンが実は死亡しておらず生きていると信じている人も多数居るそうです。

エルヴィス・プレスリーもそうだと信じられていました。

実際にそういうことをした人もいたからでしょうか。

 

9.11のテロの際には、刑事訴追されている者や、多額の借金を抱えている者など、非常に多くの人々がそこに居合わせたことにして「本人からの捜索願」が出されました。

犠牲者の総数は2801名だったのですが、捜索願は6000件以上あったそうです。

うまうまと保険金を受け取った人も何人もいました。

 

著者はその後、つてをたどってフィリピンに出かけ、死亡証明書を入手することに成功します。

賄賂を使い政府関係者から入手した分と、偽造したものとを合わせ一応ひとそろい手にしました。

もちろん、専門の保険調査員に見せたら一発で見抜かれたようですが、その用途(保険請求)に使わなければなんとか使えたのかもしれません。

それでも、実使用はあきらめて学資ローンは着実に返すことを決めたそうです。

 

偽装死で別の人生を生きる

偽装死で別の人生を生きる

 

 

「欲望の資本主義 ルールが変わる時」丸山俊一(NHK”欲望の資本主義”取材班)著

NHKの「欲望の資本主義」という番組の取材として、ノーベル賞受賞者コロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツチェコ出身の異色の経済思想家であるトーマス・セドラチェク、元ゴールドマン・サックス社員の投資家スコット・スタンフォードを迎えて、大阪大学の経済学者安田洋祐氏が対談した内容をまとめた本です。

終章にはセドラチェク氏が三菱ケミカル会長の小林喜光氏と対談した内容も収めています。

 

スティグリッツは「見えざる手はない」として「アダム・スミスの間違い」を語ったことで有名ですが、現在の資本主義の暴走は短期主義の金融市場によるものとしていても、新たな科学の進歩でこれまでと違った資本主義が生まれ、成長が維持できるとしています。

 

セドラチェクは共産主義時代のチェコスロバキアに生まれ、共産主義崩壊の直後に23歳でチェコ共和国大統領の経済顧問に招聘されるという経験をしています。

成長を必須とする、成長資本主義は誤りであると明白に言っています。

成長のためならば低金利政策や大量の国債発行も可というのが全ての先進国の考え方ですが、これが問題であるとしています。

セドラチェクは成長に反対しているわけではないと言っています。成長そのものが悪いのではなく、成長が最優先と考えるのは間違いということです。

経済が成長しないのは、もうこれ以上成長する必要がないからだとしています。

あまり好況が過ぎるのはおかしい、これにブレーキをかけなければいけないということを考えなければいけないのです。

成長しなければならないという脅迫観から、日本では国債と言う未来からのカネを注ぎ込んでいます。

良い投資であれば借金をしても大丈夫という議論もありますが、借金や必ず返済しなければなりません。

2008年の金融危機は大きなものでしたが、この時もしも「債務がゼロだったら」危機の影響はほとんどなかったはずです。

政府が銀行からGDPの3%の借金をして、それを財源に公共投資をし、それでGDPの1%の成長が達成されれば政府は大喜びをするはずです。しかし、それは間違いです。

借金で買った成長に意味はありません。

 

セドラチェクという人、なかなか見るべき事を言う人だと発見しました。

 

欲望の資本主義

欲望の資本主義

 

 

「酸素のはなし 生物を育んできた気体の謎」三村芳和著

酸素は大気中に21%含まれておりそれは簡単に変わるものではないような気になってしまいますが、地球の成り立ちを考えるとそれはほんの偶然にすぎなかったようです。

 

本業はお医者さんですが、山登り好きがこうじて酸素について考えることも多くなってしまったという著者の三村さんが、地球誕生以来の酸素の歴史から、現在の酸素にまつわる生化学的な知識、病気に関する話、生物の酸素への対応など、実に盛り沢山な内容を新書に詰め込んで、素人でもこれ一冊読めば相当分かった気になれるという、お得な本になっています。

 

宇宙全体の元素の存在量をみると、水素が70%、ヘリウムが28%とこの2種でほとんどを占め、その他の元素は微量に過ぎないようです。

ビッグバンのあとしばらくは水素、ヘリウム、リチウムしかなかったのですが、徐々にそれらのガスが集まり重力が生じ、その中で核融合反応が進み出し、質量の重い元素ができてきた時に酸素も誕生しました。

それは太陽の10倍以上も大きな恒星で作られたのですが、それが数十億年をかけて地球に水として降り注ぎました。

高速で降り注いだ水は炭素と結びつき二酸化炭素一酸化炭素となり、また遊離した酸素は地球の核に大量に含まれる鉄と結びついて酸化鉄となりました。

 

27億年前に、地球にはシアノバクテリアが登場し、光合成を行って酸素ガスを放出しだしました。それまでは大気中の酸素濃度はほぼ0であったのですが、徐々にあがってきます。

しかし、その上昇速度は非常に遅く、1億年たってようやく現在の大気中酸素濃度の10万分の1に達しました。

そうこうしている間に、地球全体が凍りついたという、全球凍結が起きます。

24億年前から22億年前まで、そして8億年前から6億年前までの2回は凍りついたと見られます。

この時は地表は赤道まですべて1000m以上の氷で覆われ、シアノバクテリアもほとんど死滅しました。

ただし、火山の噴火口など特に高温であったところにかすかに生物が生き残ったようです。

ほとんどの生物が死に絶えたために、二酸化炭素が徐々に濃度を上げていきました。

そうなると温室効果が起き、ようやく7000万年たって気温が上昇し、一気に氷を溶かし出してしまいました。

するとわずかに残っていた生物が急激に拡散し繁茂し、そして進化も起きました。

酸素濃度が1%を越えたところで、カンブリア紀の大爆発と呼ばれる進化の急激な進展が起き、現在の多細胞生物のほとんどが出揃いました。

 

その後、生物は5回の大絶滅により急減しては、また急激な回復を果たすということを繰り返してきました。

これらの大絶滅はその原因も多様ですが、その中の1回は無酸素に陥ったことが原因であったようです。

2億5000万年前にはそれまでの最高濃度の30%に達していた酸素濃度が急降下するというスーパーアノキシア(酸素欠乏)という事件が起き、そのときに生物種の多くが絶滅しました。

その原因はいくつか考えられますがまだ確定していないようです。

 

 

酸素は生物にとって有害ですが、それ以上に有利な働きがあります。

それは、有酸素でのエネルギー獲得であり、酸素を使わないエネルギー獲得の18倍も有利なものです。

ただし、酸素が活性化した活性酸素(名前だけは有名でしょう)はその反応性の高さから体内のあちこちに障害を与えるため、この活性酸素を有効に除去できる機構を備えた生物だけが生き残ってきました。それができないものたちは、「嫌気性生物」として酸素から逃れて生き延びています。

また、生物は酸素を有効に使う機能をあれこれ備えているために、低酸素の高山などでは機能が衰えてしまいます。

それを逆に利用する、マラソンなどの高地トレーニングというのもよく知られているものでしょう。

 

ガンなどの腫瘍と酸素の関係というものも知られています。

腫瘍では反応が非常に盛んなために酸素消費量も多く、付近の酸素濃度を下げてしまうほどです。

そのために、低酸素障害を起こしやすく、それを逃れるために新たに血管を作ってしまう「血管新生」ということを始めます。

そのため、血管新生を阻害したり、血管を塞いだりするというガン療法も行われています。

ガンの転移と言うことにも、この低酸素状態から抜け出すと言う意味が関与しているそうです。

 

いやあ、酸素というものは面白い。まあ、他の元素も面白いんでしょうが。

 

酸素のはなし―生物を育んできた気体の謎 (中公新書)

酸素のはなし―生物を育んできた気体の謎 (中公新書)

 

 

「日本の年金」駒村康平著

経済学者ですが、社会保障や年金が専門で、政府の顧問や有識者検討会の委員も勤められたという著者が、年金問題について詳細に説明されていると言う本です。

 

年金というものは、誰もが大きく関わるはずであるのに、あまりまともに考えたことがないという、困った状態です。

恥ずかしながら、私も会社に勤めている時には、「なんでこんなにたくさん天引きされるの」と不満を抱きながら、いざ貰う段になってみると「なんでこんなに少ないの」と文句を言うという、情けない有様ですが、他の人もだいたい似たようなものでしょう。

 

日本社会は急速な高齢化の進展から、年金財政も急激に悪化しその存続も危ぶまれるほどになっています。

また、厚生年金や共済年金はまだ支給額も確保されるものの、国民年金というものは支給額がとてもそれだけで生活を支えられる額ではなく、生活保護受給が避けられないものになります。

さらに、その国民年金すら掛け金未納で受けられない人が急増しています。

 

国民年金は元々は自営業者(農家を含む)のためのものとして作られましたが、その後そのような自営業者の人口は減り続け、現在では実質的には労働者の中でも非正規雇用者が加入するという性格が強くなっています。そのために、掛け金も払うことができない人の割合が増加しています。

 

年金制度というものが充実しているのは、先進国だけと言えるのですが、その先進国の中でも様々な年金制度のタイプが存在します。

しかし、どの国でも高齢化は程度の差こそあれ進み、国家財政の窮乏も進んでいるために年金制度の危機は存在しているようです。

 

年金制度のタイプとしては、

ビスマルクタイプ」 所得比例の給付建てを特徴とする。ドイツ・フランス・イタリア・日本(ただし日本は全国民共通の基礎年金が存在)

ベヴァリッジタイプ」 国民全員を対象として均一給付。ニュージーランドアイルランド

「ノルディックタイプ」 所得比例年金を中心としながらも、税と年金の一体徴収を行ない、制度の一元化を推進し、低所得層の給付を重点化した最低保証年金を用意し、上乗せの私的年金個人年金の制度を用意する。 スウェーデンフィンランドノルウェー

があります。

 

これらのタイプができるのは、それらの基になる思想の違いがあります。

つまり、「国民全体をカバーし普遍的な所得比例年金を推進する、社会民主主義的アプローチ」「職業別に加入する現行制度維持の、保守主義的アプローチ」「公的年金を縮小し民営化積立方式を進める、市場中心的(リバタリアン)アプローチ」です。

これらは、現在の政党別の政策の違いとも対応しています。

それぞれに長所もあれば欠点もあります。

 

これからの年金をどうするかという問題は、決めるべきことが多数あり大変なことなのですが、著者はこれらを政争のタネとするのではなく徐々にでも話し合いを続けて改善し続けなければならないとしています。

 

なお、年金積立金の運用については最後のところに記述がありました。

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は2006年に設立されました。

その運用の基本ポートフォリオは、国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%外国株式12%、短期資産5%となっていました。

しかし、2014年には運用資産額126兆で、国内株式が16.47%に増加しています。

安倍内閣の政策として、公的年金積立金の積極運用ということが取り入れられ、国内債券率の引き下げと国内株式率の引き上げが行われました。

現在はまだ株式市場の高騰が続いているので見かけ上増えているように見えますが、株式市場の暴落という事態が起きれば大変なことになるのは目に見えています。

本書の中には、「公的年金積立金の運用利回りにはそれほど高いものをクリアする必要はなく、賃金デフレの環境では極端に言えばごく低い1.6%でも大丈夫」としています。

 

株式市場の相場吊り上げだけが目的の危険な政策だということでしょう。

 

日本の年金 (岩波新書)

日本の年金 (岩波新書)

 

 もっと早く、しっかり勉強しておくべきだった。

「あやしい健康法」竹内薫、徳永太、藤井かおり著

健康法については様々な俗説が出回っていますが、それらについて有名なサイエンスライターの竹内さんが、医師の徳永さん、ヨガインストラクターの藤井さんとともに、指摘しています。

それぞれの専門分野で健康法を取り上げて評し、それについてあとの2人が寸評を書くといった形式です。

竹内さんは第1章で「目に見えぬ科学と健康」と題し、ミネラルウォーター、アルカリイオン水マイナスイオン等。

徳永さんは第2章で「身近にはびこるマユツバ健康法」で、ブルーベリー、ゲルマニウム温浴、などから漢方薬や整体について。

藤井さんは第3章で「エクササイズと健康」で、部分痩せ、「痩せる」道具、加圧トレーニングからホットヨガや岩盤ヨガなどを取り上げます。

 

全体を見ての感想は、「実に多くの健康法を、”金儲けの手段として” 多くの人々が売り込み、多くの人々が受け入れているもんだ」ということです。

中には自然発生的なものや、学術的なものから派生したものもありますが、ほとんどは「金儲け」絡みと言えます。

科学者(医師を含む)の弱みは「絶対」と言えないことだと思いますが、専門家ができるだけこういった問題について発言することが必要だと思います。

 

それでは、取り上げられている健康法の中からいくつか。

 

ぜったい買ってはいけない浄水器とは

 フィルター、活性炭、逆浸透膜といったものはどれでも装備しており大差はないのですが、少しでも売上を増やそうとして「活性水素水」とか「マイナスイオン水」といった、科学的にはまったく意味のない文句を並べているものはダメです。

 

アルカリイオン水は飲んでも意味なし

 仰々しく宣伝しているものもありますが、結局は「薄い石灰水」と同じ。一般的に身体に害はないが、特別身体に良いかと言われるとそんなことはない。

 

ブルーベリーは目に良いか?

 「物がよく見える」ということがどういうことかということも、現在の科学ではよく分かっていません。それがアントシアニンという物質だけで「改善される」ということは考えにくいことです。

 

発芽玄米は身体に良い?

 発芽玄米がギャバ(GABA)という物質を多く含んでおり、ギャバ神経伝達物質であるということも分かっています。

しかし、それを多く摂取することが健康に効果があるということは言えません。それをあたかも魔法の物質であるかのように断定する宣伝は怪しいというべきでしょう。

 

漢方薬は身体にやさしい?

 漢方薬も薬品であり、飲み方を間違えれば副作用を起こします。小柴胡湯インターフェロンと飲み合わせるとC型肝炎を引き起こすことが知られています。

しかし、長年の使用経験があるものは、副作用の出方も分かっているというのは利点です。

 

部分痩せってできますか?

 はっきり言って、できません。

脂肪吸引手術だけはそれに当たるのかもしれませんが、これはその部分の脂肪を削り取ってしまうのですから、部分痩せなどというものではありません。

痩せるときに一番最初に痩せ始めるのは、たいてい「胸」です。そして最も痩せにくいのは「お腹、背中、太もも、腕の付け根」という、多くの人が「一番痩せたい」部分になっています。

 

こういった「間違った健康法」で商売をしている人があまりにも多数に上ることを思うと暗然としてしまいます。

 

あやしい健康法 (宝島社新書 257)

あやしい健康法 (宝島社新書 257)

 

 

「男と女のトラブル相談室」大渕愛子著

テレビ出演も多い弁護士の大渕愛子さんが、特に男女関係のトラブルについて、結婚、離婚、ストーカー、DV、セクハラといった事例と対処法を書いています。

 

活字も大きく言葉も簡単なものを選んでいるようで、あまり活字慣れしていない人にも読んでもらいたいということでしょうか。

 

それにしても、各章の扉のページには愛子さんの写真が載せられているという、ちょっと本人にとってもおそらく相当恥ずかしい作りの本になっています。

まあ、内容は至極まっとうなようですが。

 

結婚問題のゴタゴタにはやはり若い男性の意識の変化というものが大きいようです。

私らのような老人世代では「男は妻を養うのが当然」といった感覚が普通だったと思いますが、相当変わってきているようで、それが結婚観の変化にもつながります。

問題は、多様化も進んできているということで、それが相手がどういった意識かということの誤解にもつながり、行き違いが生まれるようです。

 

ストーカーの問題もかなり多いようですが、弁護士として乗り出すと相手はまったく自覚が無いということもあるようです。

これも、どこまでが普通かという認識が違っているのでしょう。

一日に2-3通のメールを送り続けただけで相手からストーカー呼ばわりされてびっくりしたという人も居るようです。

 

セクハラ・パワハラ問題はひどいことになっているところもあるようですが、一方ではこの程度は大丈夫と思っていても受け取る側が過敏になりすぎてちょっとしたことでも問題化させることもあるようです。

 

なお、離婚問題については弁護士によってはすぐに証拠を揃えて離婚成立としてしまう人もいるようですが、大渕さんはできるだけコミュニケーションを復活させて話し合い重視ということを心がけているようです。

それで思い直して離婚は防げることもあるとか。

 

なかなか訴訟社会にはならない日本ですが、弁護士というもの少しは見直してみたほうが良いかもしれません。

 

 

 

「古文書はいかに歴史を描くのか」白水智著

著者は歴史学の中でも各地に残る古文書をフィールドワークで探し出し解析し各地域の歴史を新たに再発見していくという研究方法を取っている歴史学者です。

 

この本では各地の旧家の蔵から古文書を発見してきた実話や、その詳細な方法、また記録のまとめ方など研究の進め方の詳細も解説しながら、身近なところからの歴史の見方というものを読者に示しているようです。

 

とはいえ、現代では刻一刻と古文書は失われているとも言えるほどです。

旧家であっても改築したり、後継者が居なくなってしまったり、また各地で頻発する地震などの災害で家自体が壊れてしまったりして、建物を解体する際には古文書のようなものは廃棄されてしまうこともしばしば起きてしまいます。

 

著者が実際に体験した例では、石川県の奥能登で気にかかっていた旧家にようやくツテをたどって紹介してもらい、古文書などが残っていないかを尋ねたら「昨日ゴミに出しました」と言う答えを貰ったということもあったそうです。

 

また、文書として保存されているものの他に「廃棄史料」と言われる、所有者が廃棄したけれど残っているものもあります。

かつては紙という資源は貴重なものであり、古紙もすぐには捨てずに再利用したものでした。

文書として不要になったものでも、襖の下張りや壁の補修、変わったところでは裃や袴の補強材として使われているものがあり、それを取り出すことで元々の記載内容が蘇ることもあるそうです。

 

著者の長年のフィールドワークの実際についても語られています。

各地の旧家には江戸時代には政治の末端組織として残されていた文書なども多数保存されていることが多いのですが、それを組織的に調査したということはほとんど無いようです。

地元の教育委員会などが調査することもありますが、予算などの負担が大きいこともあり未調査のまま残されているものがほとんどです。

そういったものを調査しようというのですが、所蔵者からすればどこの誰とも分からない者が突然「調査させてください」といって現れるので、なかなか信用してくれなかったそうです。

 

出てきた史料の整理方法も語られていますが、所蔵者がきちんと整理してあったわけでもなく、時代が離れているものが一緒くたということもあるようです。

それでもまずは現状をきちんと記録しておくことが必要なようで、あとになって判ることもあります。

目録というものを作っていくことも重要になりますが、その内容は一つの史料が一つの内容に限られるわけでもなく、はじめから整理方法をよく考えておく必要があります。

 

山梨県早川町の旧家から発見された文書の断片から歴史的な事実が明らかになった例が示されています。

その家は江戸期以前から材木の切り出しと出荷をやっていたそうですが、部分的に名前と材木の送り先だけが記された手紙のようでした。

その単語を調べるとどうやら徳川家康が関係しているようです。

さらに、年代も文禄元年であることが確定しました。

しかし、そうするとおかしな点が出てきます。

その時には家康は駿府から江戸に移封された時であり、甲斐の領地も取り上げられて秀吉子飼いの加藤氏に与えられていました。

秀吉の家康警戒は厳しく、城の建築などは警戒されていたはずでした。

それでもかつての領主の家康に材木納入ができたのかどうか、この手紙の断片からこのようなサスペンスとミステリーが浮かび上がってきたのでした。

 

古文書の解読、非常に興味深いものでした。しかし、あの崩し字を読むのは難しそうです。

 

古文書はいかに歴史を描くのか フィールドワークがつなぐ過去と未来 (NHKブックス)

古文書はいかに歴史を描くのか フィールドワークがつなぐ過去と未来 (NHKブックス)