爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「古文書はいかに歴史を描くのか」白水智著

著者は歴史学の中でも各地に残る古文書をフィールドワークで探し出し解析し各地域の歴史を新たに再発見していくという研究方法を取っている歴史学者です。

 

この本では各地の旧家の蔵から古文書を発見してきた実話や、その詳細な方法、また記録のまとめ方など研究の進め方の詳細も解説しながら、身近なところからの歴史の見方というものを読者に示しているようです。

 

とはいえ、現代では刻一刻と古文書は失われているとも言えるほどです。

旧家であっても改築したり、後継者が居なくなってしまったり、また各地で頻発する地震などの災害で家自体が壊れてしまったりして、建物を解体する際には古文書のようなものは廃棄されてしまうこともしばしば起きてしまいます。

 

著者が実際に体験した例では、石川県の奥能登で気にかかっていた旧家にようやくツテをたどって紹介してもらい、古文書などが残っていないかを尋ねたら「昨日ゴミに出しました」と言う答えを貰ったということもあったそうです。

 

また、文書として保存されているものの他に「廃棄史料」と言われる、所有者が廃棄したけれど残っているものもあります。

かつては紙という資源は貴重なものであり、古紙もすぐには捨てずに再利用したものでした。

文書として不要になったものでも、襖の下張りや壁の補修、変わったところでは裃や袴の補強材として使われているものがあり、それを取り出すことで元々の記載内容が蘇ることもあるそうです。

 

著者の長年のフィールドワークの実際についても語られています。

各地の旧家には江戸時代には政治の末端組織として残されていた文書なども多数保存されていることが多いのですが、それを組織的に調査したということはほとんど無いようです。

地元の教育委員会などが調査することもありますが、予算などの負担が大きいこともあり未調査のまま残されているものがほとんどです。

そういったものを調査しようというのですが、所蔵者からすればどこの誰とも分からない者が突然「調査させてください」といって現れるので、なかなか信用してくれなかったそうです。

 

出てきた史料の整理方法も語られていますが、所蔵者がきちんと整理してあったわけでもなく、時代が離れているものが一緒くたということもあるようです。

それでもまずは現状をきちんと記録しておくことが必要なようで、あとになって判ることもあります。

目録というものを作っていくことも重要になりますが、その内容は一つの史料が一つの内容に限られるわけでもなく、はじめから整理方法をよく考えておく必要があります。

 

山梨県早川町の旧家から発見された文書の断片から歴史的な事実が明らかになった例が示されています。

その家は江戸期以前から材木の切り出しと出荷をやっていたそうですが、部分的に名前と材木の送り先だけが記された手紙のようでした。

その単語を調べるとどうやら徳川家康が関係しているようです。

さらに、年代も文禄元年であることが確定しました。

しかし、そうするとおかしな点が出てきます。

その時には家康は駿府から江戸に移封された時であり、甲斐の領地も取り上げられて秀吉子飼いの加藤氏に与えられていました。

秀吉の家康警戒は厳しく、城の建築などは警戒されていたはずでした。

それでもかつての領主の家康に材木納入ができたのかどうか、この手紙の断片からこのようなサスペンスとミステリーが浮かび上がってきたのでした。

 

古文書の解読、非常に興味深いものでした。しかし、あの崩し字を読むのは難しそうです。

 

古文書はいかに歴史を描くのか フィールドワークがつなぐ過去と未来 (NHKブックス)

古文書はいかに歴史を描くのか フィールドワークがつなぐ過去と未来 (NHKブックス)