爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

ゲノム編集農産物の次の開発目標は、FOOCOM.NET専門家コラムで白井洋一さんの解説。

これまでの遺伝子操作技術とは異なり、外部からのDNA導入をせずにその生物自体の遺伝子を改変することで有効な変化を起こさせるという、ゲノム編集技術はすでに実用化段階に入っています。

これを使って育成されたGABA高生産性のトマトと、肉厚のマダイがすでに商業化が始まっています。

 

これに続くものは何か、それについてFOOCOM.NETの専門家コラムで白井洋一さんが解説しています。

foocom.net

それによると、現在製造技術が確立され試験が行われているのが、穂発芽耐性コムギと、ソラニンフリーポテトということです。

穂発芽耐性コムギは、岡山大学と農研機構が行っているもので、収穫前に雨が降った場合に穂に種子がついたまま発芽してしまうことがあるのですが、それを抑えるというものです。

日本のコムギ栽培では収穫時に雨が降ることが多いため、品質劣化の恐れが強いのですが、それが抑制されれば品質向上につながります。

今期に野外栽培試験を始めるそうですが、外来遺伝子は含まれないため規制対象外ではあるものの、栽培試験場所は文科省に届け出たそうです。

 

ソラニンフリーポテトは、理化学研究所大阪大学工学部が開発したもので、ジャガイモの芽に含まれ有毒なソラニンを作らせないようにしたものです。

すでに4月に試験栽培が承認されているそうですが、場所は農研機構で行なうということで、この点については白井さんも疑問を呈しています。

自分の所で栽培できるようにしてからやるべきではないかと。

まあ、そうでしょうが、遺伝子技術ばかりに気を取られ、栽培ということは二の次でしょうか。

 

ゲノム編集技術といえば大きな可能性があるのでしょうが、現時点で応用可能というものは意外に少ないのかもしれません。

ただし、拙速で変なものにまで手を出されるよりは慎重である方が良いのでしょう。

 

「習近平の中国」林望著

一強体制を確立し個人崇拝まで始めたかのような中国の習近平ですが、本書は新聞記者として中国に駐在し多くの人に取材をしてきた著者が2017年時点でその体制について書いたものです。

 

著者の中国駐在の最後の時期にすでに習近平を「核心」と呼ぶ、すなわち中国での「個人崇拝体制の開始」という状況になり、そこから現在までさらに強まっているようですが、そこに落とし穴があるのかどうか。

 

まだ記憶に新しいものですが、習近平が総書記就任の頃には王立軍や薄熙来の失脚といった事件が相次ぎました。

中国共産党指導部の中での熾烈な勢力争いがあったのでしょうが、それは習近平の強力な指導体制確立のための戦いだったのでしょう。

 

そのような習近平体制はちょうどアメリカのトランプ大統領の時代とも重なりトランプの対中戦略との厳しい戦いともなります。

さらに香港やウイグル、対台湾、尖閣諸島南シナ海と火種は各地に燃え上がり、また自ら火をつけているようでもあります。

 

習近平は父親の習仲勲共産党で指導部にあったものの政変で失脚し、15歳の頃に自分も農村へ追いやられるという経験をしています。

総書記就任の直後にもその村を訪れて農村生活経験をアピールするということをしており、農村の民衆の支持を取り付けるということが大きな意味を持つことのようです。

 

そのためか、「共同富裕」すなわち先行して富裕化する人々を許すものの、彼らの力で他の遅れた人々を皆富裕にしていくということにこだわりがあるようです。

 

この本出版の時点の直前には台湾の馬英九とも会談するなどの進展もありましたが、台湾はその後国民党が敗北し蔡英文総統となることで中台関係も後退しました。

香港やウイグルの状況も中国の強硬路線が激しくなる一方です。

本書中にも触れていますが、習近平の個人崇拝が高まると言っても後継者問題はまったく進んでいないようで、その危険性も強いものです。

中国はどこへ行くのか、それは世界がどうなるのかと言うこととも強く関わっています。

 

折りから、恒大集団の破綻といった問題が持ち上がり、他の企業などへの圧力も強まるのではと言われています。

中国共産党が何をしようとしているのか。

大きな関心が寄せられるのも世界の中での存在感の大きさゆえでしょう。

どうせ結果は分かり切っているが、一応衆議院議員選挙。

議員の任期満了に近く、実施は間違いなかった総選挙ですが、寸前のトップの交替という手法で自公政権が無事に乗り切れそうな情勢です。

news.yahoo.co.jpあのまま菅政権で選挙をやればかなり厳しかったと言われていますが、それを首をすげ替えただけで楽勝に転じるという、おめでたい国民性が遺憾なく発揮されそうです。

 

ニュースではお決まりの「有権者にインタビュー」が流れており、のんきそうな人々が「弱いものを大切にしてくれる候補者を選びたい」などと話しております。

 

いつも感じていることですが、政権党が「改革」を声高に叫ぶというのは何でしょう。

やりたいなら自分たちの政権なのですから、いくらでもやれば良かっただけのことですが、それができなかったのは自分たちの力が無いということを証明しているだけでしょう。

 

原因不明ですが、なぜかコロナウイルス感染者が激減、人々の意識はもう完全に経済復興に向かっていますが、ここでも与野党すべてが金をバラまく公約ばかり。

批判した事務次官の方がよほどまともに見えますが。

 

そして、そのうちに必ず起きる第6波の感染拡大ですが、その時の対策は大丈夫なのでしょうか。

これでまた、右往左往のドタバタ劇を見せられるのでしょうか。

 

どこにも行けないから昔の旅の思い出、新入社員の頃の社内旅行

社内旅行(慰安旅行とも言った)などはもう今は実施する会社も少ないのかもしれませんが、私が入社した40年以上前はどこの会社でも結構大がかりにやっていたものです。

 

それより少し前までは全員参加が当然、宿泊時の宴会では全員余興強制といった話もありましたが、さすがにこの頃には余興などはありませんでした。

しかし、酒を飲むことは大変なもので、行きのバスに乗り込むとすぐに酒が出てきたものでした。

 

旅行費用などは会社によってかなり事情が違ったようですが、私の勤めていた会社では福利厚生費の中から旅行費として使える分があり、それで足りない部分は自己負担ということになっていました。

そのため、職場によって違いはあり月々積み立てをするというところもあったものの、私が入社して所属した課ではそこまではやらずにできるだけ会社負担分で済ませるという方針だったため、あまり遠方には行かなかったものです。

 

しかし、私が入社した年だけは何を血迷ったか当時としては限界に近い遠方への旅行が計画されていました。

会社があったのは熊本県八代市、そこから延々とバスに乗り佐賀県唐津市に向かうというものです。

 

今では九州も隅々まで高速道路が張り巡らされかなり到達時間も減っていますが、その当時(昭和53年(1978))には九州自動車道熊本市南方の御船インターまでしか開通しておらず、八代から御船までは国道3号線を走りました。

途中でかつては国道沿いに栄えていた大型ドライブインにも寄ったのですが、そこもその年の暮れには高速延伸となってつぶれてしまい、今となってはそれがどこだったのかもわからないほどです。

御船からは高速を走ったのですが、福岡からはまたも国道。

朝から出発したものの着いたのは夕方でほとんど観光もできません。

辛うじて見たのが唐津城

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唐津城は江戸時代初期に寺沢氏によって建てられたものですが、その後取り壊されており再建されたのは昭和41年(1966年)だそうです。

子供の頃に父の勤務で福岡に住んでいた時に唐津にも行ったことがありますが、その時はまだ再建されていませんでした。

この社内旅行の後、家に帰省した時に父にこの写真を見せたら喜んでくれました。

 

他の場所もあまり訪れる余裕もなかったのでしょうが、虹ノ松原を眼下に見下ろす鏡山展望台には上がったようです。

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あまり天気も良くなかったのか、ぼんやりした光景でした。

 

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一緒に行った先輩たちの後ろ姿です。

一堂揃った前からの写真もありますが、さすがにそれを掲載するのはまずいだろうとは思いましたが、考えてみれば写っている人の半分以上は既に故人です。

この写真の中でも左から2人目の方は5年ほど前に亡くなっています。

 

帰りのバスもほとんど休憩以外には止まることもなく、皆疲れ果てて帰りつきました。

これに懲りて、翌年は熊本市近郊のホテルにて現地集合現地解散、翌々年は八代市内の日奈久温泉で宴会だけということになってしまいました。

年寄りには過酷な旅行であったようです。

 

その後、20年以上はこういった社内旅行が続きましたが、徐々に会社の状況が厳しくなり私の退職する頃にはもうできなくなったようです。

大変な思いでの方が多いのですが、それでも何となく懐かしく感じる旅行です。

 

 

「都道府県魅力度ランキング」に本気で怒る県知事の方が怖い。

都道府県魅力度ランキング」なるものが発表され、そこで44位と低く沈んだ群馬県の知事が本気で怒って法的処置だなんだと言っているそうで、それに対しての批判です。

news.yahoo.co.jp

辛坊治郎氏がラジオ番組で語っていたということですが、群馬県山本一太知事がこのランキングで群馬県が44位であったことに激怒し、発表主体の民間のシンクタンク、ブランド研究所に対して法的処置も検討しているということに対し、最初に感じたのは「冗談の通じない人は面倒だな」ということだったとか。

 

それよりも、兵庫県奈良県より低いのは神戸人にとっては問題だろうということですが。

 

実は数日前に熊本でもローカルニュースで報じられていました。

それもだいたい同じような感覚で、「福岡より下なのは仕方ないが、長崎鹿児島より下位は許せん」といった馬鹿馬鹿しい話ですが。

 

たかが民間の発表した数字にあれこれ過大に反応するのもつまらないと思うのですが、知事とすればそこで何か言わなきゃと思うものなのでしょうか。

 

それにしても、他との比較で高い低いというのもあほらしいのですが、それ以上におかしいと思うのは大方の人々の持つわが県・わが町愛です。

単に自分が生まれ育ち、親戚知人が居るというだけでそこが一番というのは、それを持てない人にとっては苛立つものです。

まあ、生まれてすぐからあちこち転居を繰り返し、親戚のいる場所、学友のいる場所、知人のいる場所というのがすべてばらばらと言う私ですが、そちらの方が確かに不幸なのでしょう。

なお、一つだけ言えるのは気候の良いところはどこかということで、湘南地方が一番だと思います。

一方、一番きつかったのは石川県、次が今の熊本県です。

石川の冬の雪、熊本の夏(だけではない春も秋も)の蒸し暑さは大変なものでした。

 

 

「感染の法則」アダム・クチャルスキー著

いまだに猛威を奮い続けるウイルス感染症ですが、その報道の中で「感染モデル」というものが説明されていることがあります。

そんな数学的なモデルが実際に役立つのかと疑問もありましたが、この本はそれについて分かりやすく解説しています。

 

著者のクチャルスキーさんは数学者ですが、ロンドン大学熱帯医学大学院で感染症数理モデルを教えているという、まさにこの分野の専門家です。

 

とはいえ、ここで解説されている感染は、「ウイルスや細菌による感染症」だけではありません。

他にも「伝染する」と言われているコンピュータウイルスばかりか、暴力の伝染、アイディアの感染、金融危機に至るまで、人々の間で流行すると言われているものがみなこういった「感染の法則」によって説明できるということを示します。

 

19世紀末、イギリスの支配下にあったインドではマラリアの流行が猛威を奮っており、多くの人が犠牲となっていました。

そこに赴任したのがあまり成績の良くなかった軍医のロナルド・ロスで、マラリアの感染の状況を目にして何らかの対策をしなければならないと考えました。

その頃にはすでにマラリアを引き起こすのはプラスモディウムという寄生虫であることは分かっていましたがそれがどのように感染を広げるのかは不明のままでした。

ロンドンに帰った時、フィラリアの研究をしていたマンソンという医師に教えられ、それが蚊による感染であることを知り、マラリアもそうではないかと言う考えを抱きました。

インドで蚊による感染の研究を続け、蚊の発生を減らすことでマラリアの発生も減らせられることを示したロスですが、その理論を人に説明するには大変な苦労がありました。

ロスは数学を一から勉強しなおし、マラリア伝染モデルというものを作り上げていきます。

蚊による伝染だからと言って、その地域の蚊の発生を完全に止めなければマラリア感染を止められない訳ではありません。

その理論の反対者は少しばかり蚊の発生を止めたからと言ってマラリア発生に影響があるのはおかしいという理屈を持ち出しましたが、その感染モデルでようやく理論的に説明することができました。

そして、それはマラリアだけに止まらず他の多くの感染症、さらには社会的文化的な流行というものを説明できる理論でもあったのです。

 

「再生産数」という言葉もこのところしばしばテレビに出ますが、「一人の患者が何人に感染させるか」を示す数字です。

再生産数をRとすると、感染者数は1+R二乗+R三乗+・・・・となり、これが感染爆発のサイズとなります。

Rがもし0.8なら、この数字は5となるので、全部で5人の感染者となります。

このように、この再生産数を推定することで、その感染症の脅威が推定できます。

2013年の中国でのH7N9鳥インフルエンザによる感染は130人の患者がでましたが、そのRは0.04と推定され、非常に狭い範囲の感染で済みました。

 

このような考え方が感染症以外の分野でも役に立ち、2004年の銃規制キャンペーンでは銃規制支持への勧誘のためのEメールのRが0.58と推定されました。

またその次の試行はハリケーンカトリーナによる被害に対する救援資金を募るもので、このEメールのRは0.77でした。

これでこれらのメールがどの程度拡散していくかが推定できます。

 

 

新たな感染症の感染の広がりを推定するには、感染者の行動を細かく追跡しなければなりません。

2009年に発生したSARSではその香港での最初の感染者が中国人医師とホテルで1日だけ同じ滞在期間を過ごして感染し、その後どう移動するかを調べました。

そこからこのウイルスの潜伏期間が6.4日であることが導き出されるのですが、このような行動の追跡はプライバシー保護とは相容れないものがあります。

それを犠牲にしてでも正確な情報を集めることが感染症の全体像をつかむには必要なのですが、難しい問題です。

このような空気感染のウイルス感染症ならまだしもですが、性感染症の場合はこれは大きな問題となり得ます。

しかし、特に中国などでは人物認証システムも発達し多量の監視カメラシステムとともに運用すれば効率的に人の移動が監視できます。

どこまで利用していくのか、国の姿勢が問われるところです。

 

 

金融危機や、街角での暴力発生の伝染など、他の分野の感染の話も興味深いものですが、省略しておきます。

 

 

夢の話「高校の頃の部活動の練習と、微生物のコンタミネーションの回復」

題名だけ見たら何のことか分からないのが普通でしょうが、夢の中ではそれが疑問なくつながっていたという、なんとも不思議な夢でした。

 

このところ少し体調不良で、非常に疲れがたまっていたためか見る夢も疲れる夢ばかり、昨日などは毎日横須賀から東京まで自転車で通勤をするという夢で、目覚めた時は朝から疲労困憊という精神状態になるというものでした。

しかし、今日は何とかそういった夢からは解放されたようで、体調も戻りつつあるのかもしれません。

 

とはいえ、今朝の夢も相当不思議なことには変わりありません。

 

最初は高校の部活動の練習から。

もう50年も前のことなのですが、あの頃の苦しさや厳しさなどはまだ記憶の中に重くのしかかっているようです。

これから解放されるのは、認知症になってからのことでしょうか。まだまだ大分先のことのようです。

 

体育館での練習は激しく、苦しく、体力の限界を超えたようなところで続いています。

 

そこで現れるのが「微生物が発酵で作り出す物質が体力回復に効く」

ここでいきなり微生物の話にワープしてしまいます。それが夢と言うものか。

 

大腸菌のようなバクテリアに発酵させて物質を生産させて回収するようです。

 

ところが、どうも上手く行かない。

どうやらコンタミネーション。つまり別の微生物が混入し汚染されてしまったようです。

それを何とか回復させなければならない。

(ここで20年ちょっと前の会社の研究所での仕事に無理なく移行していきます)

 

使う微生物の元株は寒天培地上に生育させて保管してあるのですが、元株自体がコンタミで汚染されている場合もあり、その時には純化という作業をしなければなりません。

 

夢の中でも純化作業をやっています。

シャーレに作った寒天培地に、汚染された微生物を滅菌水で希釈した液を撒いて広げます。

それでうまくすれば一つ一つの微生物が増殖してコロニーとなり汚染菌と分離するかもしれません。

もっと簡単な方法では、白金耳(といっても白金製などは使ったこともなく、ニクロム線でしたが)に微生物の塊を塗り付け、それを寒天培地上に伸ばしていき、ちょうど上手い濃度になったところで汚染菌と分離して単一コロニーとなる(こともある)のを目指すというものです。

 

夢の中でもそれを繰り返すのですが、なかなかうまく行きません。

まだかまだかと言う外野の声も聞こえますが、「焦らせても早くはできない」と怒鳴り返すというのが夢の最後の場面でした。

 

相変わらず、仕事の夢で目覚めが悪いといういつものパターンでした。