爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

マグロが3億円っていったい何のことなのか

毎年正月にはこの話題には不快にさせられますが、今年は最高額だとか。

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自分の周辺にはその兆候のかけらもないのでよくわからないのですが、なにやらバブルが部分的に肥大しているのでしょうか。

 

これほどひどいのは少ないでしょうが、ミニ版はあちこちで見られます。

金のあるところにはある、そこだけは景気回復なんでしょう。

 

全国みな景気回復なんていうことは、もうありえないという認識が必要なのですが、それが認められない人が多いようです。

「はじめての中国語『超』入門」相原茂著

昔は外国人なるものは都会に行けば居たかもしれないけれど、田舎町にはほとんど関係のない存在でした。

しかし、最近では熊本南部のわが町にも農業研修生という名の低賃金労働者も多数来ており、またクルーズ船でのツアーの中国人もしょっちゅう現れるようになり、いつものスーパーにも時々訪れています。

その多くは中国人のようで、まったく意味の分からない言葉を話しています。

 

おそらくあれが中国語だとは思うのですが、書かれる文字は簡体字とはいえある程度何が書かれているかは想像はできるものの、話される言葉は全く不可解。

そんなわけで、ちょっとは分かるようになるのかもと思い、この「超入門」という本を読んでみましたが、やっぱりほとんど分からないようです。

 

第1章の副題にもなっているように、「中国語 発音よければ 半ば良し」だそうです。

上がったり下がったりの歌を歌っているような「声調」というものがあり、さらに子音も母音も日本語よりはかなり複雑なようです。

 

声調というものは、中国語独特のもののようです。

これまでもそれについての話は聞いたことがありますが、きちんと整理してみたことはありません。

第1声は「高く、平ら」

第2声は「急に上昇」

第3声は「低く、低く、抑える」

第4声は「急に下げる」ということです。

そして、大変なのは、日本語のカナで書いてみれば同じになっていても、声調が違えばまったく違う意味になってしまうということです。

 

「マー」と読む言葉でも、第1声なら「お母さん」第2声で「麻」第3声では「馬」第4声では「ののしる、しかる」という意味となるため、正確に発音しなければまったく伝わりません。

 

日本語も漢字で書いてある部分は中国人があちら風に読めるのですが、それも全部声調や子音・母音発音も中国風に読んでしまいます。そのため、日本人の名前も完全に中国風に読まれるので、誰のことかさっぱり分からなくなるようです。

 

中国語の文法では、英語風に表すと、基本的に「SVO」の構成だそうです。

そして、日本語と違い多くの場合に主語を必ずいれなければなりません。

主語に続いて動詞が入るということで、どうも見た感じは英語に近い雰囲気がするようです。

 

明治期に日本が西洋の事物などを取り入れた際には、漢字を使った造語が多数作られました。

そして、その頃には多く来日していた中国人留学生などを通じてそういった言葉が中国に伝わり広く使われているものもあるそうです。

ただし、そればかりが原因ではないでしょうが、漢字では日本語と中国語とまったく同じ字を使っていながら、意味が相当違うという言葉も多く、これには注意が必要です。

たとえば「告訴」は単に告げること、知らせること

「工夫」は時間、ひま

「勉強」は嫌々ながらすること

といった具合です。

 

日本語は言わずに済ませる語句というものが多いのですが、中国語では略さずに言わなければならないものがあります。

「お茶をどうぞ」と言いますが、中国語では清喝茶、すなわち「飲むお茶をどうぞ」と言わなければなりません。

どのような場合でも主語と動詞を必要とするようです。

 

どうも、同じ漢字を使っているだけに油断しがちですが、まったく違う言語であることを忘れずにいたいものです。

 

はじめての中国語「超」入門 [ソフトバンク新書]

はじめての中国語「超」入門 [ソフトバンク新書]

 

 

夢の話「今年の初夢は大学生に戻って卒論研究」

1月2日には夢を見なかったので、これが今年の初夢ということでしょう。

 

夢の中では私は大学4年生、実に40年以上若返りました。

 

卒論研究のために研究室に配属され、研究テーマを振り分けられたのですが、それが植物細胞の培養と阻害物質の検索というものです。

その植物というのがキュウリだということが分かります。

 

いろいろな植物種を用い、培養細胞を作る製法も変えて、4種類の細胞を用いてそのすべてが反応する物質を見つけようというのが研究の目的のようです。

 

さらに、その4種細胞を用いるというのが学会での標準法になっているのですが、その理由についても再検討することというおまけもついています。

 

指導教官はなぜか女性教授。

まずは文献検索してから関連論文を読んで始めようということでした。

 

大学の建物は4階建て、その4階に研究室がありますが、エレベータはなく歩いて登らなければいけません。

その光景は自分の行った大学とはまったく違っていて、実在の大学ではないようです。

それでも研究室内の汚さはどこの学校でも似たようなものでしょうか。

 

まだまだ気持ちは若いようです。

「唐宋伝奇集(上)」今村与志雄訳

「伝奇小説」とは、少々不思議な感を抱かされるような状況を描かれるものということで、現代でも書かれることがあるのですが、実は中国の唐宋の時代に大きく発展した様式のようです。

その前の時代の六朝時代には「六朝志怪」と呼ばれる小説の形式が流行しました。

これは「怪」と言われるように奇怪な話を描くというものでしたが、唐宋時代に入るとそのような怪は扱わずに少し不思議といった程度のものが好まれるようになります。

 

その作者も多いのですが、この本の中にも載っている李桂(本当は女偏で読みは「あ」)伝の作者、白行簡は、あの白居易の弟ということです。

 

謝小我伝という作品で扱われているのは、商人の父と夫が、商旅行中に盗賊に襲われて殺され、一人残った主人公が敵討ちをやり遂げるのですが、犯人を探す手がかりとなるのが、夢に父と夫とが表れて「わしを殺したのは、車中の猿、門東の草だ」などと告げ、その謎を解いて犯人を突き止めるというもので、その部分が伝奇となっています。

 

中国ではすでにその当時に現代に通じる人生の機微や、人と人とのやり取りなどがあったということが見られ、文化というものを感じさせられます。

 

唐宋伝奇集〈上〉南柯の一夢 他11篇 (岩波文庫)

唐宋伝奇集〈上〉南柯の一夢 他11篇 (岩波文庫)

 

 

「教科書には書かれていない江戸時代」山本博文著

著者の山本さんは歴史学者で、東京大学史料編纂所の教授ですが、長年にわたり東京書籍という教科書会社の中学社会科教科書編纂に関わってきたそうです。

教科書というものの性格上、歴史の話題でも学会でほぼ確定したことしか書けず、またあまり細部にまで筆を進めるわけにも行かず、少々不満に感じていたので、教科書には書けなかった部分を思い切り書いてしまいましたという、そういった性格の本になっています。

 

そんなわけで、書かれている内容は、

「武士の切腹の実態」とか「参勤交代の実際」とか、「幕末のある旗本の一生」といった、学校の生徒はそこまで知らなくても良いだろうが、面白い話を取り上げています。

 

武士の切腹というものは、戦国時代にも戦に敗れた者が自殺する場合に行われていましたが、江戸時代という戦乱もない時代にこれだけ多くの自殺者が出たというのも世界的にも珍しい話かもしれません。

なにか問題が生じた場合に責任者が切腹するということが頻繁に発生しましたが、それはその事態に対する責任を取ってというだけでなく、その担当者としての真心を示すという意味が強かったようです。

とはいえ、以前読んだ別の本に書かれていたように、この習慣のためにかえって日本に無責任体制が広がってしまったとも言えるでしょう。

 

参勤交代という制度は、幕府の大名統制策としてできたのでしょうが、これが実は江戸時代という時代の性格を決めたとも言えるほどの意味があったようです。

1年毎に領国と江戸を往復し、藩士も相当数が随行することで、江戸文化と地方との交流も進みました。

その費用も多額であったと言われますが、松江藩の場合で参勤交代の道中の費用は約4000両という記録が残っており、藩財政の総額から見ると約3%と意外に少ないそうです。

しかし、その後の江戸での駐在費用が多額であり、道中費の10倍以上、藩財政の30%以上がそれに費やされたとか。

 

旗本の一生という項では、戸川伊豆守安愛(やすなる)という人物が取り上げられています。

幕府大番頭という身分の旗本で、家禄3000石という上級武士ですが、江戸時代でも安定期であれば形だけの役職に就きのんびりと暮らせたのでしょうが、幕末に出仕していた安愛は大変な一生を送ることになりました。

14代将軍家茂に28歳の時に使え始めた彼は小納戸役となり、将軍側近となります。

家茂は京都の天皇との会談も強いられるということで、江戸と京都との往復も多く、安愛もそれに随行しています。

さらに、将軍からの命令であちこちに使者として遣わされたり、江戸の大老から急ぎ戻るようにとの命令が来たりと、早馬に乗ってあちこちを駆け回るという仕事ぶりでした。

家茂死後も、通常ならば自分も引退するところを、次代将軍慶喜に使われ、さらに明治になっても政府から召し出されて官職につくという、休みのない人生を送り52歳で亡くなっています。

 

江戸時代をよく見ていくと、それがそのまま現代まで続いているということが多いことが分かります。

それは戦国時代までとはかなり異なるもので、日本という社会の性格はその時代に形成された部分が多いということなのでしょう。

 

教科書には書かれていない江戸時代

教科書には書かれていない江戸時代

 

 

「危険不可視社会」畑村洋太郎著

「危険学」で有名な畑村さんは、東日本大震災福島原発事故のあとも大活躍されていますが、この本はその直前、2010年に出版されたものです。

したがって、東日本大震災原発事故の教訓については含まれていないばかりか、本書中の原子力発電所についての記述も少々的外れになってしまったのは残念ですが、本の内容は触れずにおくのはもったいないほどのものです。

 

現在の日本は、あまりにも「安全」というものを重視しすぎて、逆に「危険」があることを覆い隠し、見えなくしているようです。

それが「危険不可視社会」という本書題名にもなっている状態です。

特に、原発の状況はそれをよく示しています。(その後は大逆転してしまいましたが)

つまり、「原発は絶対に安全」ということを強調するために、「原発の持つ危険性」は故意に無視されてしまい、正当な危険性評価とそれへの対応というものも取れなくなってしまっているということです。(結局それが実現してしまいました)

 

安全な状態というものには、「本質安全」と「制御安全」というものがあります。

かつて、ビルの入口に設置された大型自動回転ドアに子供が挟まれて死亡するという事故がありました。

このドアには多くのセンサーが設置され、異常を感知するようにされていたのですが、小さな男の子が走ってドアに飛び込むという事態を想定されておらず、事故に至りました。

このような状況が「制御安全」の落とし穴になります。

事故の対策として、さらにセンサーを増設するとか、制御方法を変えるとかいった対策をしても、制御安全の上積みにしかなりません。

しかし、「本質安全」を目指すなら、そもそもあのビルに回転ドアは不向きということで別のドアに替えるとか、回転ドアでも軽い素材にして人が挟まれたらドアの方が壊れるという具合にすることになります。

 

制御安全というものが現代にここまで発展してきたのは、マイコン、すなわちマイクロコンピュータの急速な発達のためと言っても良いようです。

マイコンを用いることで、機械の働きを求めているように作ることが可能となり、機械の構造自体を考えるというよるは、機械の制御をマイコンによって変えることで、安全を追求する方向に進んでしまいました。

 

しかし、マイコン自体のトラブルも多発しました。

自動車でもオートマチック車の制御にはマイコンが不可欠でした。

ギアの切り替えをマイコンで制御するということが行われてきましたが、その初期にはマイコンの不良で異常運転をしてしまうという事故も多発したようです。

ドライバーの操作ミスということで片付けられたものが多かったのですが、実際はマイコンのプログラムミスや不良によるものも相当数あったようです。

 

機械には寿命があり、そのうちに必ず故障するというのは避けられません。

しかし、日本のものづくりの技術が高かったためか、メーカーの想定をはるかに越える年月の後も使い続けている人が多いようです。

扇風機が使用中に火を吹くという事故が多発しました。

それらは使用して30年以上たつというものでした。

これはメーカーの責任期間をはるかに越えていると言えますが、それでもやはりこういう事故が起きてしまうとメーカー責任を問われることになります。

特に危ない温風機やファンヒータなどを回収するというメーカーの広告が続くこともありました。

メーカーも何らかの対策が必要なのかもしれません。アポトーシス(自殺)する機械というものを作る必要があるのかも。

 

機械や設備における事故というものは毎日各地で起きているのですが、ニュースなどになるのはごく一部です。

特に、使用者に責任があるような事故はほとんど報道されることはなく、機械や管理者に責任がある場合だけ大きく騒がれます。

しかし、実際は使用者の責任といっても本質的に装置側に問題があることもあります。

エスカレーターで歩いて上がり下がりするのは危険だと言われていますが、なかなかやめようとせず、それが原因の事故も頻発しています。

本人が悪いといえばそうなのですが、止めさせない管理者にも責任があると言えそうです。

 

遊具で遊ぶ子どもたちが事故にあうということもありました。

そのため、危険と言われた遊具、特に遊動円木、箱型ブランコ、回旋塔という三種の遊具は全国の遊園地から姿を消しました。この三種を「遊具絶滅三種」と呼ぶそうです。

しかし、これらの遊具も危険な部分を変更して改良すれば危険とは言えなくなります。

特に、「生存空間」という隙間がないために挟まれると重大な事故につながったのですが、それも十分な生存空間を確保するか、逆にまったく入り込めないようにするかという改修で、使い続けることが可能でした。

それが、管理者側の危険回避一番という対応で、除去すればそれで良しということになってしまいました。

結局、ああいった子供の運動能力を高めるような遊具が皆排除され、乗っても面白くないようなものばかりになり、子供も遊ばなくなるそうです。

 

著者は阪神淡路大震災の際も現地の視察に訪れたのですが、破壊された建物、完全に無事な建物という差が激しかったそうです。

これは1981年の建築基準法改正により、それ以前と以降で建物の強度がまったく違ったためでした。

しかし、建築基準法改正はあくまでも新築建物の基準であり、既存の建物については触れていません。

これを「既存不適格問題」と言います。

これらの建物も建てた時は適法でした。その後は法改正で基準を満たさなくなっていますが、すぐに改装とか使用禁止とかいうことはできません。

しかし、既存不適格の建物があるということで、危険が高まっているのは確かです。

社会のコストは高くなりますが、何らかの対策が必要です。

(この指摘は熊本地震でほとんどそのまま再現しました)

 

なお、中の挿話で一つ興味深いのがありました。

アメリカ、ヒューストンでエレベータ事故で日本人が死亡したのですが、アメリカの警察の調査で関係者が故意に起こしたのではないと判明すると、「事件性がない」としてそれ以上の捜査はしなかったそうです。

アメリカには「業務上過失致死傷罪」というものがないので、それ以上は警察は関与しないとか。

そのため、民事訴訟で損害賠償を求めるしかないのですが、被害者側がその証拠を集めるしか無く、訴訟も困難を極めたそうです。

日本やヨーロッパでは業務上過失致死傷罪が存在するため、最初の捜査でも警察が関与するのですが、国による違いが大きいところなのでしょう。

というか、アメリカがひどすぎると感じますが。

 

さすがに畑村さん。中身の濃い本でした。

 

危険不可視社会

危険不可視社会

 

 

韓国がレーダー照射の非を認めようとしない理由を高橋洋一さんが解説

年末に自衛隊機に対して韓国軍艦艇がミサイル発射のためのレーダーを照射したことが大きな問題となっています。

現場の兵士を処罰して終わり(それでも韓国軍の規律が悪いのは大問題)だと思っていたのですが、韓国政府はああだこうだと言い訳にもならないことを言い続けていて、どうしようもない状態になっています。

 

これについて、経済学者の高橋洋一さんが興味深い推測をしています。

gendai.ismedia.jp

この記事の最後のところに書いてありますが、現場は日本の排他的経済水域内ですが、日本海では屈指の好漁場の大和堆で、北朝鮮の密漁船が頻繁に入り込んでいるところです。

ここに、韓国軍の艦艇がなぜか北朝鮮の漁船が動けなくなったのを救助に来ているのが、「日常的に行われていること」であるのではないかということです。

 

いまだに、北朝鮮への制裁は解除されていませんが、たまたまの北朝鮮漁船の救助ならばまだしも、それが頻繁に行われているとなれば、制裁違反になるということです。

 

この証拠となるような日本側の記録があるので、それだけは公開しないでくれという願いにもかかわらず、日本側が映像を公開したということで、さらに窮地に立たされた韓国政府が逆ギレしているということのようです。

 

まったく、困った隣国が2つ並んでいるということでしょう。