爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「できたての地球 生命誕生の条件」廣瀬敬著

著者の廣瀬さんは東京工業大学の地球生命研究所の所長として地球誕生や初期の地球環境、そして生命誕生について研究されているそうです。

 

 これまでも地球科学というものに関しての本は何冊か読んできました。

「”地球のからくり”に挑む」大河内直彦著 - 爽風上々のブログ

「気候変動を理学する」多田隆二著 - 爽風上々のブログ

「マグマの地球科学」鎌田浩毅著 - 爽風上々のブログ

 

それらの本を読んでみての印象では、今の気候変動論のような、「二酸化炭素が何ppm増加して気温が1度上がる激しい気候変動」などという議論がバカバカしくなるほどの大きな変化が地球の歴史の間には起きていたということです。

 

しかし今度のこの本は、特に「地球誕生直後」について詳しく書かれています。

さらに、そのほんの直後に生命も誕生してしまったということです。

 

今の地上に残っている岩石などを見ても地球誕生直後の様子などは分かりません。

こういったものを研究するということは非常に困難なことだと思いますが、著者の研究所ではそれを扱っているということです。

 

地球誕生は46億年前と言われていますが、その頃の岩石などは残っていません。

ではどうやってその年代を決めたかというと、太陽系に残されている最も古い物質、隕石として地球に落下しているものの年代を測定し、それを地球の誕生と考えているのです。

太陽系が皆一緒にできたものとして、その年代を地球誕生の時と考えているということです。

 

太陽系全体に分布していたガスが冷えて塵となり、それが衝突・合体を繰り返し、微惑星という小さな惑星の元ができ、それらがさらに衝突と合体を繰り返して最後にジャイアント・インパクトという最大の衝突が、原始の地球と火星サイズの天体の間に起き、地球と月の元の姿になりました。

そのときには合体の発熱で全体が摂氏1万℃まで上昇し何もかもが溶けてしまいました。

それが冷えてきて水蒸気が水になり、さらに冷やされて地球の形になりました。

 

しかし、その時の水の量は微々たるものでした。

それだけでは今のような水分に富んだ惑星にはならなかったでしょう。

それでは水分はどこから来たのか。

火星と木星の間には小惑星帯というものがあり、その小惑星は位置の関係で大量の水分を持っています。

それが、木星という非常に大きな星の重力のせいで散乱させられ、地球にも大量に降り注いだようです。

そこからもたらされた水分がこのような水の多い惑星の成立の原因となりました。

 

ただし、このような小惑星の衝突は火星にも金星にも起きたはずです。しかし現在はどちらにも海はありません。

これはなぜかというと、金星は太陽に近いために水蒸気となってしまい徐々に揮発してしまった。そして火星は小さすぎて水蒸気を留めておけなかったようです。

このように、地球に水が残ったというのは限られた条件のためだったといえます。

 

さて、このような小惑星由来の水分が地球の海の基になっているのは分かったのですが、現在の海水は地球全体の質量から言うとその0.02%に過ぎません。

シミュレーションによると実際はこの70倍ほどの量がなければならないそうです。

この水はどこへ行ったのか。

 

火山噴火の際に噴出するマグマには水分が含まれています。そもそもマグマというものはマントルに水分が加わったために流動化したものです。

それでは海水以外の水分はマグマになっているのか。

実はマグマに含まれる水分もそれほど多いわけではありません。

せいぜい海水の5倍量ほどです。

実は残りの水分は地球の中心に位置するコアに水素として含まれているということです。

地球のコアは固体の鉄です。そこに水素として取り込まれてしまったようです。

 

水は酸素と水素の化合物ですが、地球の中心には水素が取り込まれたものの酸素は入っていません。

酸素はマントルに酸化鉄として含まれるとともに、やはり隕石として地上に降り注いだ炭素と化合して二酸化炭素になったようです。

 

地表が何枚かのプレートでできていて、それが徐々に動くというのがプレートテクトニクス理論であり、地震などの原因と言われていますが、このプレート移動というのも海水が大きく関係しているようです。

プレートが海水で冷やされて収縮することでマントル全体が対流運動を起こすというのがその動きの原因であり、もしも海がなければこのような地表の運動もなかったはずです。

 

さて、46億年前に地球ができ、マグマが冷え固まったのは45.3億年前と考えられています。

そして、地球生命の誕生は38億年前と推定されていますが、その確実な証拠があるわけではありません。

38億年前のグリーンランドで見つかった岩石の炭素同位体比を調べたところ、生命に特徴的な数値が出たからその時には既に生命があったと考えられているのです。

もしかしたらそれより古い可能性もありそうです。

 

生命というものは有機物でできていますが、有機物があるだけでは生命ではありません。

持続的に生体分子を維持することができなければならないのですが、そこで著者たちが重要視しているのが「代謝」というものです。

周囲の有機物などを身体に役立つ物質に変える働きですが、現在の生物ではこれを酵素反応で行っています。

しかし、まだ酵素というものが発生していない頃には、触媒反応で行わなければならなかったはずです。

 

こういった生体反応が本当に触媒反応だけで進むのか、その実証が著者の研究所の大きなテーマになっているそうです。

 

現在の地球の生命は、すべてタンパク質・DNA・RNAを使い同じ反応を利用しています。

違う方式の生命体がなかったかどうか分かりませんが、あったとしても淘汰されたのでしょう。

深海で見つかった生物でも同様であったということはそれだけ現在の生物の広範囲な分布を示すものです。

ただし、地球外でも同様とは言えません。思いもよらない形の生物もあり得ることです。

 

著者はさすがにこの分野でもトップクラスの研究者です。一般人に対しての解説も分かりやすくポイントを捉えやすくされているものと思います。

地球という生命の星の成り立ちについて、思いを馳せれば人間同士の争いなどバカバカしく思えるといのは私だけの感想かもしれません。

 

 

できたての地球――生命誕生の条件 (岩波科学ライブラリー)

できたての地球――生命誕生の条件 (岩波科学ライブラリー)

 

 

「NHKスペシャル MEGAQUAKE巨大地震」NHKスペシャル取材班、主婦と生活社ライフプラス編集部編

NHKスペシャルという番組の中で、巨大地震というものを扱ったものは何度もありますが、この本は2010年に4回シリーズで放映されたものを書籍化したものです。

 

したがって、まだ2011年の東日本大震災は発生する前の状況を扱ったものですが、それを警告するような内容も含まれているとも言えます。

 

 マグニチュード8以上の巨大地震をメガクウェイクと呼ぶそうです。

 

この本に紹介されているNHKスペシャル番組製作当時にはだれにも記憶に鮮明な大地震と言えば阪神淡路大地震でした。しかしその地震でもマグニチュードは7.3、それがM8以上といえば大変な大地震というイメージだったのでしょう。

 

さすがにM8以上の地震といえばそう頻繁に起きることではありません。

1000年に一度という頻度ということは、東日本大震災の後にも言われていました。

しかし、考えてみると1000年に一度であればアメリカなどはネイティブアメリカン(インディアン)の人々以外はまったく知られていないものです。

この本の冒頭、シアトルは地震のことなどまったく考えられずに作られていることが紹介されています。

しかし、先住民のマカ族の伝承には地震が描かれているとか。地質学的調査でもわずか300年の周期で地震が起きていたことが分かっています。次の地震ではどうなるか。

 

この時点での最大の危機予測は南海トラフ地震でした。

その危険性の描写が長く記述されています。

それは現在でもさらに可能性を強めてきています。

特に怖ろしいのは揺れの激しさもさることながら、東日本大震災同様に津波被害です。

前回の南海地震終戦直後であったために、詳細があまり知られていませんが、高知でも6mの津波に襲われています。

しかもその時の地震規模は小さめだったのですが、それが大きければさらに被害が出るでしょう。

 

そのときには大阪周辺でも津波被害が出ることが予測されます。

その場合には都市の脆弱性とも重なりさらに大きな災害となるでしょう。

 

その後もNHKスペシャルでの地震特集は何回も制作されているようです。

 

これだけ危険性を強調されているのですが、どうも人々の反応は鈍いもののように感じられます。

厳しい現実の前にはまともな思考力が失われるのでしょうか。

 

NHKスペシャル MEGAQUAKE巨大地震―あなたの大切な人を守り抜くために!

NHKスペシャル MEGAQUAKE巨大地震―あなたの大切な人を守り抜くために!

 

 

夢の話「茨城大学から熊本まで自動車を運転して帰る」

時々ですが、細部のリアリティーはやたらに鮮明ですが、基本的に状況がまったくありえないという夢を見ることがあります。

 

今日の夢もそれでして、こういった夢を見ると起きた後にやたらに疲労感が強く、また寝たいという想いがします。

 

夢の導入部では、現在地は昔長く住んでいた神奈川県の藤沢か川崎のようです。

 

そこから熊本に転居することになりました。(これも実体験です)

 

ただし、自動車を陸送にすると高いので(これも実体験)、自分で運転して行こうということにします。(これはありえない)

 

ところがなぜか、その寸前になり茨城大学に仕事で寄らなければならなくなります。

(ここが意味不明)

そのため、家族は別行動で移動、自分ひとりで茨城に向かいます。

 

茨城大学はキャンパスがいくつかに別れているようですが、どうも向かった先は水戸付近か。

そこで誰かに会うのですが、仕事上の面談というよりは知人に会っているような雰囲気でした。

 

そこから熊本に出発です。

しかし、道が分からない。

なぜか、高速も東京方面には通じておらず、唯一向かえるのは栃木から群馬を通り、長野から中央高速に入るというルートしかないということになっています。

 

持っているナビもポータブルの8年前のもの(これは本当)で更新もされていないので新しい道が入っていません。

道も分からず不安だらけですがとにかくスタートしようということで目が覚めました。

 

 

細部はやけに鮮明ですが(茨城大学の内部など)そもそも設定がまったく覚えがないものばかりです。

 

まず、茨城大学には行ったこともなくほとんどつながりもありません。

 

大学時代の指導教官だった恩師が、その大学に赴任する直前に茨城大学に居たという程度で、それほど細かく話を聞いたわけでもありません。

また、茨城県自体、神奈川で勤務していた頃に何度か仕事で出張した程度で、行った経験も数度です。(その時も常磐線の電車に乗って行きました)

 

道路事情も詳しくはないのですが、常磐自動車道があり首都高からつながっているという程度の知識はあります。

 

実際、NAVITIMEで検索したところ、茨城大学からのルートは常磐自動車道から首都高、東名、名神等経由して熊本までは約1300km、走りっぱなしで15時間ということでした。

 

そもそも、自動車で長距離ドライブというのもあまり経験がなく、以前に神奈川県に住んでいた頃に親の郷里の長野県までなんどか運転して行った程度です。

それも距離は250kmほど、その運転だけでもかなり疲れてグターっとなったものでした。

今では普段もあまり車は運転せず、ここ数年は熊本県外に出ることもなくなりました。

 

やっぱり、たまには気ままにドライブというのが深層心理的に欲しているのかも。

常日頃は気ままに散歩はしていますが。

 

「世界の独裁者 現代最凶の20人」六辻彰二著

独裁者といえば現代でも北朝鮮金正恩などが思い浮かべられますが、先進国ではあまり縁がないようにも感じます。

しかし、世界的に見ればこのような独裁者というものは決して珍しい存在ではなく、まだ多くの国がそういった政治指導者により支配されているとも言える状況です。

 

この本はそういった独裁者と言われる支配者について、国際政治学者の著者が紹介しています。

取り上げられているのは、米紙ワシントン・ポストから出版されている週刊誌「パレード」が2011年に「世界最悪の独裁者ランキング20」として選んだ20人の中から、既に失脚したエジプトのムバラクと、選考に疑問があると著者が考えるキューバラウル・カストロを除き、著者の独断でベネズエラチャベスとロシアのプーチンを加えたということです。

 

なお、この本で取り上げた2011年から6年経過し、金正日は死亡して交代、中国の胡錦濤習近平に交代、そしてカダフィは失脚といった変化もありますが、いまだにしぶとく独裁制を続けている国も多いようです。

 

独裁体制を築く方法はいくつかあるようですが、革命や独立で国を立ち上げた功労者がそのまま独裁体制を築き上げるというのが分かりやすいもので、ジンバブエムガベ大統領が典型的なもののようです。

 

また、そのような創業者から継承して(あるいは簒奪して)独裁者になったのが金正日サウジアラビアのアブドラービンアブドルアジーズ、トルクメニスタンのベルディムハメドフなど。

そして集団指導体制や政党制の中から独裁制を築き上げた、中国の胡錦濤やロシアのプーチン、イランのハメネイという連中。

 

いずれも非常事態を口実に国民の権利制限、報道の圧迫、反対派の弾圧などの手法で独裁体制を強化していくという道をたどります。

 

これに対して、世界各国も独裁体制であるというだけで批判するということもなく、その国に利用価値がある限りは独裁制も認めているようです。

アメリカなども民主制をうたう割にはその国の立場が有利に利用できる限りは独裁国家と言えど支持するという行動をずっと取ってきています。

中国ロシアはその国自体も独裁制と言えるものですが、当然ながら有利でありさえすれば独裁国家を利用するということを常に行っています。

 

このような状況ではその国の国民、特に反対する人々やジャーナリストといった人への弾圧は止まるはずもないものでしょう。

 

自由と民主主義などというものは世界のごく一部だけでのものと言うことなのでしょう。

「民主制の欠点」内野正幸著

民主制とは多数決や投票など、意思を決定する一つのシステムです。

それが政治の場合は民主政治となりますが、政治だけに限らず企業や地域などでも民主制という手続きが使われる場合もあります。

 

デモクラシーについて、政治学者が論じたものは数多くありますが、この本の著者の内野さんは法学者であり、法学の面から説いたものはほとんどないということです。

ただし、私のような素人から見ると政治学と法学の区別も分かりませんので、どこがどう違うのかもはっきりはしません。

 

そのあたりは今後さらに調べる必要がありそうです。

 

デモクラシーという言葉が歴史的に重要な場面で使われているのは、古代ギリシア、特にアテネの政治と、アメリカのリンカーン大統領の演説です。

 

古代ギリシアはデモクラシーの原型ができたところです。

この言葉はデモス(民衆)による支配という意味からできました。

このような古代の民衆の直接の政治参加によるものがデモクラシーであり、現代の代表民主制はその歪曲した形であるという説もあるようです。

 

アメリカの大統領リンカーン南北戦争終結の直後にゲティスバーグで行った演説が誰でも知っているものです。

goverment of the people, by the people, for the people

ですが、これは一般的な和訳では「国民の、国民による、国民のための政治」とされています。

 

この意味もそう簡単なものではないということです。

 

「民主政治」というものは、その定義として「国民のための政治」とされるべきものではありません。

重要なポイントは「国民による政治」の方です。

「国民のための政治」は「特権者によって」でも実行可能です。

「特権者のための政治」は論外ですが、あくまでも「国民による」ものが民主政治です。

 

しかし、現実の政治はまだまだ「国民のための政治」とは言えないものです。

政治家が自分たちのための政治をやっているレベルのところも多いのですが、それを防ぐのも民主政治の最低条件です。

かと言って「国民のための政治」を「政治家が一般国民のためを思ってする政治」としてしまっては、それも違うということになります。

ここはやはり「国民のための政治」をより具体的な内容でとらえるべきです。

年金問題の解決や障害者の福祉実現といったテーマにして考えるということです。

 

 順不同かもしれませんが、ここで「民主制」の定義というものが出てきます。

ただし、これも数多くの定義がありその一つ一つが相応の理屈があってのことなので、なかなか絞ることもできないようです。

 

そこで著者はその定義の中から2つに絞ります。最低条件のものと理想的なものです。

最低条件の定義としては、「国家その他の団体において」「情報の自由が保証される上で」「一般の人々が」「多数決や投票で意思決定ができる」というものです。

もちろん、現実の国家などでこの最低条件を満たしていないところはかなり存在します。

 

さらに、理想的な条件として次を挙げています。

できるだけ多くのものが棄権せずに投票や審議に参加すること。

各人が十分に関連情報を得た上で自分の頭で理性的に判断すること。

各人が討論の過程で自分の従来の意見を変更したり修正できること。

審議に参加する各人の発言力が名実ともに対等であること。

審議や投票の対象となるテーマの種類が多く、投票などの回数が多いこと。

 

ここまで行くと、このような理想的民主制はほとんどありえないということが分かります。

 

現在のほとんどの国での民主政治である、代表民主制(間接民主制)は多くの欠点を抱えています。

それは大衆主義(ポピュリズム)とエリート主義の間を行ったり来たりしています。

ただし、ポピュリズムといっても一つではなく多くの意味があります。

普通は、「大衆的人気に支えられて政治を行う」ことですが、著者は「大衆を政治制度上の本来の主役とする主義」としています。

 

民主制の重要な柱は多数決による決定ですが、これも多くの問題を含んでいます。

棄権や保留という意見が認められる場合、賛成が反対を上回ったからと言ってそれが全体の過半数ではない場合が非常に多くなるということです。

かと言って、全員一致を求めることは民主制ではありません。

全員一致でなければならないとすると、ただ一人の反対で決まらないということにもなり、少数者に拒否権が生じることになります。

また、憲法改正のように3分の2の賛成を求める「特別多数決制」もその存在理由は明白ですが、過半数主義とは相容れないものです。

 

さらに、すべての法律を現在その場で決め直さないのは、手間と時間を考えれば当然なのですが、これも審議し直さない法律がすべてそのまま施行されておりということであり、これは「死者の支配」とも言える状態です。それが妥当かどうかも考えるべき問題です。

 

政治的教養のないものにもすべて平等に1票が与えられる制度が本当に公平なのかというのも一つの意見です。

当然ながらこれは妥当だとは言えないというのが普通の考えですが、これも不合理な一面があるのは事実です。

しかし、全員平等の1人1票制というのは、そのような不合理を含んでいたとしてもそれを大幅に上回る合理性と長所を持っていると考えるべきです。

現実には子供には選挙権を与えないという、年令による線引きだけは行われていますが、その他の投票資格は認められていません。

 

少数者の意見を尊重するということに関連し、少数民族に特別な配慮をするという国もあります。

積極的差別是正処置(アファーマティブアクション)ですが、アメリカでは激しい人種差別の代償としてその政策が取られるようになりました。

逆に白人側から不公平という感覚を持たれますが、それだけの意味があるということでしょう。

それでは日本で例えばアイヌ民族優遇処置が必要かどうか、おそらく難しいでしょう。

これはあくまでも法律的な論議であり、それが望ましいかどうかとは別問題です。

 

さらに、国会議員の男女比を半々にすべきかどうかという議論ともつながってきます。

コスタリカでは女性議員40%以上、イラクでも25%以上と決められているそうです。

フランスでは数値は出さないものの、男女の均等なアクセスを可能とすると定められています。

 

国会という場については、本書では「国会はお芝居?」「議員は投票ロボット?」「議員の政治理解度は?」等々、現状の問題点を鋭く指摘することばが並んでいます。

また、首相公選制が議論されているということもありましたが、それに対し、著者はそれよりも住民投票国民投票の制度の充実が必要であると主張しています。

小泉元首相が郵政選挙というものをやってしまいました。

これも国民投票で決めれば良いものを、衆議院議席を賭けての争いにしてしまいました。

間接民主制の矛盾点を上手く利用したものだったのでしょう。

 

なかなか中味の濃い議論の詰まった本でした。

 

民主制の欠点―仲良く論争しよう

民主制の欠点―仲良く論争しよう

 

 

コメ産地偽装で訴訟騒ぎ

昔から参考にさせていただいている、渡辺宏さんの「安心?!食べ物情報」で紹介されていたのが、JA系の米卸業者が産地偽装をしたと週刊ダイヤモンドが報道、それに対して当の卸業者は提訴もという騒ぎになっているということです。

 

http://food.kenji.ne.jp/review/review902.html

 

しかし、問題はさらに広がり、米業者が週刊ダイヤモンドに抗議した際に、「農水省に調査を依頼しており事実はいずれ明らかになる」と語っていたのに、自民党の現在の農林部会長である小泉進次郎氏が「農水省がそのような事実はないと語っている」と否定したということです。

 

元の週刊ダイヤモンドの記事によれば、JA系の米卸業者という、京都の「京山」という会社の扱う魚沼産コシヒカリと称する米を、同位体検査を使って米の産地検査をすることで実績のある、「同位体研究所」という分析会社に検査させたところ、10粒中6粒が中国産と判定されたとして週刊誌に掲載したということです。

 

それに対し京山側は事実無根として抗議し提訴もということなのですが、その根拠は示されていないようです。

そこで飛び出したのが「農水省に調査依頼」などというありもしない話だったということです。

 

渡辺宏さんは現在は食品衛生や流通上の問題など取り上げる活動をされていますが、以前は生協で商品の仕入れ担当をされていたということで、このような卸業者の生態というものにも詳しく、JA系だから安心などということは全く無く、かえってその商売には胡散臭いものが多いということも経験上ご存知のようで、今回の件も非常に疑わしいと感じておられるようです。

 

実はこの記事に興味を持ったのは、この米の産地判別に使われたのが、ホウ素とストロンチウム安定同位体の構成比のパターン化によるものだということです。

 

同位体というと放射性同位体が連想されますが、実は放射性でない安定同位体というものも数多く、それがどういった構成比を取るかということは地域によって差があるということです。

そこでそのような元素の同位体比を詳しく分析することによってその産地が明らかになるということです。

 

これとそっくりの話をつい最近も耳にしました。

榛名山火砕流で生き埋めになった古代の武人の骨の分析をしたところ、その出身地が長野県伊那地方であるということが分かったというものですが、それもストロンチウム同位体の分析によるものだということでした。

 

sohujojo.hatenablog.com

分析技術の進歩というものがいろいろな所に影響を及ぼしているものと思います。(まあプラス面ばかりでもないのですが)

 

トクホ取り消しの製品に対し、景表法違反の措置命令

FOOCOM.NETの松永和紀さんが、昨年にトクホの取り消し命令を受けた日本サプリメントの「ペプチドエースつぶタイプ」などの製品がさらに消費者庁から景表法(景品等表示法)違反で措置命令を受けた点について記事にしています。

 

www.foocom.net

これについては、昨年9月にトクホの許可条件を満たさないとして、許可取り消し命令を受けたということを松永さんは書いていました。

www.foocom.net

今回の措置命令は、なんとその許可取り消しの件をその会社はきちんと公表せず、再発防止の対策も何もしていないということでの命令です。

 

日本サプリメントの「ペプチドエースつぶタイプ」といえば、一時は頻繁にテレビCMを流していたことは記憶に強く残っているものです。

 

それが、肝心の有効成分がほとんど入っていないことを指摘され、トクホの許可も取り消されたのでした。

 

さらに、その命令をもきちんと守っていないとの指摘ですから、恥の上塗りも甚だしいものです。

 

妖怪のたまり場のような健康食品業界ですが、その中ではややマシな方とみられるトクホでもこの状況です。

機能性表示食品のいい加減さというのも、何度も指摘していますが、それにすら該当しない無印健康食品はさらに百鬼夜行の状態でしょう。

 

こんなものに大金を使わず、節度ある食事と運動で健康維持というのが望ましい態度と思います。