よく読ませていただいている「オヤコフン」さんのブログで紹介されていた、NHKのヒストリアという番組の「日本のポンペイから探る」という回の再放送、それも録画したものをようやく見ることができました。
別にそれほど忙しいわけではないのですが、どうも録画してしまうと安心しきってなかなか見ようとしないからですが。
ヒストリアという番組、これまではほとんど見たことがなかったのですが、上記の「墳丘からの眺め」で紹介されていた内容に興味を持ちました。
実は、その武人の発掘された群馬県渋川市の遺跡の近くにかつて住んでいたこともあり、また番組中にあったその武人夫婦の出身地が長野県伊那地方ということで、私の両親の故郷ということもあり、非常に親近感をおぼえる内容だったからです。
番組の内容は上記「墳丘からの眺め」に引かれているシンポジウムの内容の方が詳細ですが、番組もほぼそれに沿ったものになっていました。
その遺跡は1500年前の榛名山噴火の際に火砕流で埋められたのですが、そこに鎧姿の武人と、女性、そして二人の子供の遺体が残っていました。
他の住民はどうやらその前に避難していたようです。
そしておそらくその集落の指導者(たぶん王)の一家のみが残り噴火を鎮めようとして祈祷をしていたのか、山の神と闘おうとしていたのか宗教的な行動をしていたようです。
火砕流で一気に埋められたため、遺体も多くの部分が残っていました。
そのために夫婦の年齢や体格なども詳しく知ることができました。
男性は40代で当時としてはかなり大柄、渡来人のような細面で鼻筋の通った顔。女性は30代ですが、こちらは鼻幅が広くあごががっしりとした在来系とみられる容貌だったとか。
さらに、ストロンチウム同位体の組成を調べることでその人が幼児にどこで育ったかということも明らかになり、夫婦はおそらく長野県の伊那地方、子供は群馬で育ったと見られるということも分かるそうです。
当時は馬の繁殖等の管理が重要なことであり、その先進地だった長野県から新たな生産地として榛名山麓に移ってきたのではないかということでした。
なお、その当時の馬の生産地としては、南九州の鹿児島熊本、静岡、長野、群馬というところで、いずれも火山の山麓という共通点があるそうです。
他の農作物が作りづらいということもあり、牧場に適していたのでしょうか。
もしかしたら火砕流で埋もれた一家というのは自分の遠い親戚に当たるのかもという思いもしながら見ることができました。