パッケージ旅行、いわゆる団体旅行はさんざん馬鹿にされてはいるものの、やはり今でも多くの海外旅行者はこれで出かけているでしょう。
それは、日本人の海外旅行が自由化された1964年以降に始まったもので、JALPAKやLOOKという名前は有名なものでした。
この本はそのJALPAKに長く勤務し、業界団体でも仕事をしてきたという、パッケージツアーといものに長らく深く関わってきた著者が、その歴史から現状までをまとめたものです。
JALPAKの最初のツアーは1965年4月に「ヨーロッパ16日間」というものでした。
参加者は18人、価格は一人あたり67万5千円、当時の大卒初任給が2万5千円ほどでしたので、今でいうとおよそ650万円というものでした。
さすがにこの価格では旅行に出かけようという人は限られており、人数も簡単には増えなかったのですが、1970年になりボーイング747ジャンボなどの大型旅客機が就航しだすと一気に価格が下がりツアー価格も低落、庶民にも手が届くようになります。
初期の頃の主な目的地は、ハワイとヨーロッパでした。
大型ジェットの就航により座席の区分売りとも言えるバルク運賃というものが導入されたため、パックツアー価格は大幅に下がり、最初は30万円程度であったハワイ旅行が1971年には早くも14万6千円と半額近くになります。
とはいえ、そのうち9万円が飛行運賃でしたので、差額のわずか5万6千円が手数料とホテル代、食事代等々であったことになります。
さらに、JALPAKとJTB以外の旅行会社もどんどん参入、そして地方の中小会社も有力旅行会社と協力契約を結び販売をはじめました。
順調に伸びていった海外旅行者ですが、バブル崩壊のあとに大不況がやってきます。
値下げ競争に陥り1998年には28社の旅行会社が倒産しました。
航空料金は前払いですので、旅行会社が倒産してもキップは残りますが、ホテルは後払い決済ですので、会社倒産で客がホテルから追い出されると言う事態も起きました。
そのような安売りツアーに参加する人々は、あまり現金の持ち合わせもなく、クレジットカードも持っていないという人も居て、帰国便が出発するまでの間、なんとか過ごさせるのに苦労したそうです。
現在でもパッケージツアー価格の低落傾向は続いており、そのためのコスト削減も究極の段階まで来ているようです。
土産物屋にツアー客を連れて行くことで販促金を支払うようになったため、市内観光で別行動を取りたいという客からは現地で追加金を取るということにまでなってしまいました。
観光業振興のために自治体が補助金を出すというところもありますが、それに頼って価格を下げて売っていると補助金が打ち切られると一気に客が離れるということになります。
ツアー自体に付加価値をつけて、魅力あるものにしていけば価格が上がっても選ぶ客はついてくるものです。
その方向の努力が求められています。