爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「論語」貝塚茂樹訳注

論語」は名前だけは誰でも知っているでしょうし、その中の文章はいくつも通用しており、それを会話の中にちりばめることは、教養を示すことになっています。

 

儒学創始者である、中国春秋時代孔子(孔丘)がその弟子などと語り合った内容を、おそらく弟子が作っていた教団の中で徐々にまとめられたものと言われています。

 

本書はその論語の訳と注釈とを、全文についてまとめているもので、中国史学者の貝塚茂樹さんが書かれています。

なお、貝塚さんは地震学者の小川琢治さんの子として生まれ、兄弟には物理学者の湯川秀樹氏や中国文学の小川環樹氏が居るという学者一家で、それも異なる分野でそれぞれ卓越した才能を示されています。

 

論語は成立したのが春秋時代から戦国時代、孔子が無くなったのが紀元前479年ですので、その後だと考えられますが、中国の歴代王朝で儒学を国の主要な思想として扱われることが多かったために、その根本資料である論語についても解説注釈の必要性が高まりました。

ここには中国語の特性としてあまりにも表現が簡潔であるために、解釈の可能性が非常に多岐にわたるということがあります。

また、孔子の居た春秋時代と用語が変化したということもあるでしょう。

 

もっとも古い注釈書としては、後漢の鄭玄のものが知られていますが、この原文は現代には残っていません。

その後、魏の何晏が著したものが現代にも残っているそうです。

さらに時代が下って宋王朝のときに朱子が注釈を加えました。しかし、これは自らの主張(朱子学)の立場に立ってのもので、以前のものとは質が異なります。

日本でも多くの学者が注釈書を著しており、日中合わせて33種があるそうです。

漢代からのものを「古釈」、朱子などのものを「新釈」と呼ぶそうです。

 

本書では、古釈、新釈をさらに検討し、最近得られた歴史的な知見を加えて新たな解釈も提案されています。

 

第二篇、為政篇にはあの有名な「温故知新」の出典となった部分が含まれています。

子曰、温故而知新、可以為師

というものですが、通常はこの温故知新の部分を「古きを訪ねて新しきを知る」、つまり「温」の字を「たずねる」という意味と解釈するのが多いかと思います。

しかし、これは朱子が提唱した新釈によるもので、鄭玄などの古釈では文字通り「あたためる」という意味としているそうです。

つまり、「古い食べ物」を「温める」というのが原義だろうということで、本書でもその解釈を取っています。

 

第一篇、学而篇の、三省堂の名称のもとにもなった文では、

曽子曰わく、吾、日に三度吾が身を省みる。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝えしか。

 

という意味なのですが、この最後の文は原文では次の4文字です。

伝不習乎

これだけで様々な意味を内包できるのですから、中国語の深さと言うか曖昧さはすごいものです。

新注では、「伝えて習わざるか」と読み、「先生に教わったことを十分に復習しなかった」という意味だと解釈しています。

しかし、古注では「習わざるを伝えしか」と読み、「孔子先生から教わったことを、じゅうぶん納得できるまで復習せずに自分の弟子に伝えなかっただろうか」と反省したと解釈しています。

貝塚さんは、これが曽子の言葉であり、孔子没後のかなり後にその教団で行われた学習の機会に言われたことだろうから、古注の解釈が妥当だとしています。

 

このように、すでに2000年以上の歴史のある論語解釈という一つの学問分野に、まだ改良の余地があるということにびっくりします。

論語というものに書かれていることにも教えられますが、その解釈を極めようとする現代の学者の姿勢にも教えられるところがあります。

 

論語 (中公文庫)

論語 (中公文庫)