こういった題名の本ですが、著者の石井さんは音楽家ではなく文学研究者のようです。
ただし、書かれた著書を見るとモーツァルト、ベートーベン、マーラーなどにちなんだ本を多数書かれており、研究対象としているということでしょうか。
この本はVoiceという雑誌に書かれた連載を元に、書き下ろしを加えて一冊としたそうです。
おそらく最終章などは書き加えたものと思いますが、音楽というものからは離れた外交論や交渉論となっており、ヨーロッパ崇拝の強すぎる日本というものに対しての苦言とされています。
西洋音楽の楽譜には、曲の最後の方に「フェルマータ」という記号(半円形の弧の中に黒丸のは行ったもの)が書かれていることがあります。
日本ではフェルマータのことを「延長記号」とか「延音記号」と呼び、その意味を「この記号の付いた音は通常の2-3倍延ばす」とされています。
しかし、イタリア語のフェルマータとは「止まる」という意味であり、英語では「ストップ」ということです。
つまり、フェルマータが付いているから「ソー」と長く伸ばして歌うと日本人は理解しそのように演奏しますが、西洋人からみると音楽がそこで「停止している」ということだそうです。
日本人は都々逸などを歌っていて興がのり音を伸ばして歌うということがあり、フェルマータもそのようなものと思っていますが、西洋人の感覚ではそこまで刻んできたリズムが止まり、再開を待っているというものです。
日本で、スポーツなどの応援をする応援団が、「3・3・7」拍子などの拍手をすることがあります。
これは西洋音楽で言う「三拍子」と同じかと思うと間違いで、3・3の間には必ず一拍の休符が入ります。
つまり、チャ・チャ・チャ・ホイ・チャ・チャ・チャ・ホイ・チャ・・・・・
となり、この拍子は「四拍子」ということです。
実は、俳句や和歌の5・7・5と言うリズムも、必ずその間に休符が入るので、基本は四拍子だとか。
五七調、七五調と言うリズムは、古代から日本の歌や文の基本となっていました。
これは実に第二次大戦の戦後しばらくまでは、歌の基本となり続いていました。
しかし、ロックやフォークなどの新しい歌ではそのリズムが崩壊してしまいました。
かつての七五調の歌が「アリア」だとすれば、旋律性を失った「叙唱」になりました。
「ラップ」というものはその動きが究極まで進んだものだそうです。
かつての歌謡曲、流行歌というものがすたれていった時代と言うのはちょうど私が大人になりかけていった時代を重なります。
そのような、古代から続く伝統を消し去った大変革が起きていたとは。驚きです。