実は私の表の趣味は「合唱」でして、上手くはないものの地元で長く活動している男声合唱団に参加しており、週1の練習と年一回の発表会といった活動をしています。
(本を読んでこういう書評を書くというのは裏の趣味で、表の人にも明かしていません)
この本は、いつもの図書館で見つけたのですが、表の趣味の方に非常に役立ちそうな内容です。
合唱と言う分野の音楽活動は、学校では誰もがやっているでしょうが、社会ではあまり広く目につくと言うものでは無くなってしまっています。
かつて、昭和の昔にはかなり合唱グループも多かったようですが、今では細々と続けられているような状態になってしまいました。
しかし、その実力はかなりのもので、トップグループの合唱団などは非常に高い芸術性を持っているようです。
この本は、合唱指導を各地で長くやってこられ、最近では東日本震災被災地での子供たちの合唱指導にも力を入れておられるという、古橋富士雄さんが監修ということで、かなり高度な内容を解説されており、私達のところのように「好きで歌っているだけ」という下位グループの合唱団にとっても「ハイレベル合唱」への憧れを掻き立てられるようなものでした。
今、日本で歌われている合唱曲は海外物もありますが、多くは日本人作曲家による日本語の作品であるようです。
しかし、その音楽的な背景はあくまでもヨーロッパ渡来の歌曲が基礎となっているもので、日本的なメロディーなどを取り入れたとしても西洋音楽の系統であることは間違いありません。
とはいっても、西洋歌曲の歌い方でこれらの日本語合唱曲を歌っても、日本語としてきちんと聞こえるとは限らず、「歌はうまいが何を言っているのかわからない」と言うことになりがちです。
西洋歌曲風のベルカント奏法という歌い方で、オペラ風に歌うと日本語として聞き取りにくくなるのは、日本語の発音の仕方が西洋言語とは全く異なるためということです。
それは、本書によれば「日本語の発音は鼻濁音を除いては、口の中だけで声を響かせているのに対し、西洋語では鼻腔も含めて全体で響かせる」からであり、また「日本人の頭蓋の作りは狭く、声の響く空間の体積が西洋人は広い」ためであるからです。
したがって、日本の合唱団でも西洋風な鼻腔まで大きく響かせるような歌い方をマスターすればするほど日本語の本来の声の響きからは遠ざかってしまうのです。
そこを両立させて、コンクールなどでも高い成績を上げる合唱団では、サウンド(音量や響き)に西洋的な豊かさがあり、なおかつ日本語が美しく伝わってくるように歌っています。
これを成し遂げるためには、
1母音の響かせ方を一律に西洋型にしない
2言葉の内容に合わせて意識的に薄く響かせたり息を混ぜたりする工夫をする
ことだそうです。(難しそう)
日本語のアクセントは「強弱型」ではなく「高低形」です。
たとえば「飴」という言葉は「あ」が低く「め」を上げて発音します。
しかし、歌にしたときに強く読むのは「あ」の方であり、他の言語のように高い音を強く発音するだけではないということです。
また、語尾をあまり強く発音してしまうと、汚くなります。
幼児の歌のように、あまった息を語尾に全部吐き出すような歌い方ではなく、息をコントロールして「そっと」終わらせることが必要です。
日本語の歌の楽譜を見たとき、英語などと違うのは、一字一字そのまま読んでいっても間違いはないということです。
英語の楽譜では「b,o,o,k」と読んでいっても言葉になりません。あらかじめ全部を見通して「book」であることを理解した上で歌わないと意味が通りません。
しかし、日本語では「ほ、ん」とそのまま読んでいっても読めます。
これは読みやすいと言う点では日本語の優れているところなのですが、逆に「意味が分からずとりあえず発音だけしている」ことになりがちです。
歌を歌う場合に歌詞の意味をきちんと捉えると言うためにはかえって逆効果になります。
本書後半には、代表的な合唱曲の楽譜を使って、表現の仕方を細かく解説すると言うコーナーもあります。
大いに参考になるところで、自分たちのように音程を間違いなく歌うだけでも四苦八苦の素人合唱団にとっては、雲の上のようなイメージでした。
通り一遍に歌っているだけではダメなんだなと言うことが思い知らされた本でした。