著者の阿刀田さんはミステリーやショートショートなどを書くことが多く、その中に知的なものを感じるところがあり、何冊かは買って読んだこともあります。
この本はそういった著者のバックボーンとなったかもしれないような、「ことば遊び」に関する随想になっています。
諸外国にもあるのかもしれませんが、日本にはことば遊びに属すると思われる楽しみが数多くあるようです。
卑近な例では駄洒落というものが普通の会話の中にも連発する人もいるわけですが、これは日本語には「言葉を構成する音(オン)の数が少ない」という特徴があることが一因となっているようです。
かな文字の数だけが聞き分けられている音の数と考えられますが、それが68あります。
これは他の言語と比べると相当少ないもののようです。
その上に、多くの漢語を使っているわけですから、同音異義語も多数存在しており、有名な「貴社の記者が汽車で帰社した」のようなことになるわけですが、それをかなりいい加減に聞き分けるという耳を持っていて許容範囲がかなり広いということになります。
それが多くのことば遊びを産んだ要因の一つだそうです。
古典文学にも同様の例があり、「掛詞(かけことば)」も言ってみればシャレの一種と考えられます。和歌の世界などそれが満載されています。
ことば遊びというものを学問的に分類したという人もいたようで、鈴木棠三という方の理論によれば、
1なぞ 二段なぞ、三段なぞ、考えもの、やまとことば
2しゃれ 地口、しゃれことば、むだぐち、無理問答
3戯語 回文、舌もじり、早言葉
となっているそうです。
以下、その実例なども引きながらということになるのですが、中でも「いろは歌」というものを「人類の文化遺産としても大傑作」と称揚されています。
「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむ」というものですが、これがちゃんと意味をなしているというのはすごいことだそうです。
なお、このいろは歌の作者や成立については諸説あるそうですが、実は「他のいろは歌」というものも数多いようです。
さらに、現在でもいろは歌を作っているという人もいるそうで、その作品というものもあるそうです。
日本語の危機というものが迫っているという実感がありますが、これを回避するためにも「ことば遊び」というものが広まっていくことが必要だそうです。