昔話といえば「お爺さんとお婆さんが」と始まるものが多いようですが、それが何故なのか、どのような社会的な背景があるのかということを、エッセイストで古典に関するものが主という著者が、かなりハードに本格的に考察されています。
昔話というものの成立は文字となったのは平安時代からでしょうが、実は口頭で語り継がれてきたのでその始めはもっと早い時期だったかもしれません。
その頃には老人というものはどのように扱われていたか、はっきりとした史料が残っているわけではないのですが、例えば縄文時代の埋葬状況を見てみると老人となって亡くなった人のものは壮年で亡くなった人のものと比べて「簡素な扱いを受けている」ということです。
これは、縄文時代では老人の地位が「相対的に低かった」ということのようです。
こういった状況は現代でも未開地域の社会でも普通に見られることです。
昔話での老人の生活を見ると、金持ちの老人というものはほとんど登場しません。ほとんどが貧乏でその日暮らしです。その仕事は山仕事が多く、稼ぎの多い職種はありません。
姨捨という風習も公式文書には載っていないということで否定する学説が主流ですが、物語にこそ真実の歴史があるという考え方もあり、無かったとは断定できないものです。
上述のように昔話に出てくる老人というものは、非常な「働き者」です。これは社会的な福祉というものがほとんど存在しない以上、仕方ない状況であったともいえます。
また、その家族も夫婦二人や一人暮らしという状況が多く、子や孫と同居するという例が少ないといえます。これは江戸時代以降のように多くの庶民が結婚することができるようになった時代とは異なり、独身のままあるいは結婚したとしても子供を持つこともできないまま年老いるということが多かった状況を示すと見られます。
結局、楽隠居などという境遇になれるのは上流階級のごく一部であり、老人も死ぬまで働かなければならなかったという現実です。
さらに、古代社会では皆が早死するようなイメージがありますが、実は乳幼児の死亡率が高かったために平均寿命が短いと言われており、青年以降まで達した人々は意外に長命であったようです。そのために老後の期間も相当長く、その間も厳しい労働をせざるを得なかったということです。
なお、たとえ結婚し子供が産まれた家庭であっても、そこで老人が敬われたとは言えなかったようです。姥捨てということはそれほど無かったとしても家庭内で疎まれ迫害されていたと見られる事例が多いようです。
平安時代の特に上流階級を扱った「源氏物語」などでも、老人は悪役として扱われる事が多く、その老醜も否定的に描かれることがほとんどです。
さらに、その老醜自体を物語の展開のきっかけとして扱うことも多々あるということです。
このような老人というものを否定的に見るような社会の風潮の中で、なぜ昔話の中に老人が多く扱われているのか、それは昔話というものが実はほとんど老人によって語られるものだったからというのが結論でした。
今でも子供に昔話を語るのはお爺さん、お婆さんであることが多いようです。それは昔から同様であったようです。
老人の比率が高まり政策の多くも老人向けになっていると言われる現代ですが、昔話の語られた時代からすでに老人の活躍というものは存在していたようです。