著者は1970年代という、かなり早い時期から大学でリスクマネジメントの講義を始めました。
その当時はまだ「リスクマネジメント」どころか「リスク」自体に対する認識も乏しく、学生の興味をひくためには苦労したそうです。
その中で、外国と日本の違いを考えていくのに「かぎ(鍵)」というものは特徴的なものでした。
欧米だけでなく、中国やインドなどでも人々は住居だけではなく家の中の部屋、家具、冷蔵庫にまで鍵をかけることが普通です。
しかし、日本では家の玄関にも鍵を掛けないということが珍しくなく、それはかなり窃盗犯の増えた現在でも同様です。
江戸時代末期から、多くの外国人が日本に様々な目的でやってくるようになり、彼らはそれぞれ多くの記録を残しています。
アメリカやヨーロッパから来訪した人々が多かったのですが、彼らが驚き、書き残したのが「外国人の施設にも、日本人の住居にも鍵と言うものがない」ということでした。
そして、そこに色々な品物を置いていても盗まれるということがないというのも驚きでした。
彼らの母国、そしてその他の国でもそのようなことをしたらあっという間にすべて盗まれてしまうのが当然だというのが常識でした。
しかし、日本ではほとんどの建物に鍵はなく、わずかに「蔵」には鍵はあったものの、その性能は低いもので、盗もうと思えば簡単に破ることができるようなものでした。
こういった伝統は長く続いたようで、最近までは日本では住居に鍵はあってもかけていないところが多く、また自動車や自転車も鍵をかけずに放置してしまっているということが多かったようです。
さすがに最近は窃盗や自動車盗、自転車盗が増加したため、鍵を掛けようということが頻繁に言われていますが、それでも世界標準?から言えばほとんど掛けていないに等しい状況です。
こういった状況の理由として、幕末明治に来日した外国人の中には、「日本人は正直である」からだと見た人も多かったようです。
ただし、より深く社会を見つめた人の中には別のものを見た人もいました。
窃盗は少なかったものの、犯罪行為がなかったわけではありません。
幕末に来日した外国人は、日本の官僚たちの賄賂や公金横領の横行には辟易しました。
「脱税」「汚職」「役得」といったものは日本の習慣であると書いています。
窃盗や強盗には極めて強い怒りを感じるのに、役人の汚職にはさほど怒らないのが日本人なのかもしれません。
(これは現在でも同様なのは言うまでもありません)
戦時の略奪は、中世の西欧では習俗としても法的にも合法とされていました。
それも、敗れた兵士からだけでなく、非交戦者の住民たちもその対象とされました。
日本でも戦国時代にはそういったことが起こりましたが、それ以外の時代にはあまりなかったことのようです。
そして、ヨーロッパでは戦時以外にも横行しました。
旅行者への追剥はいつの時代でもありましたし、それは統治者が行う場合も多かったようです。
そのような戦争というものの形から生まれたのが、世界的に存在する城塞都市なのですが、日本ではほとんど発達しませんでした。
都市を防衛するのは兵士だけでなく、市民も含まれており、それができるのが「市民」であったとも言えます。
日本人から見ると「納税をした上に戦争に参加までさせられるのか」と思うのですが、そこに市民観の差があります。
日本では、窃盗だけでなくスパイ活動への認識も甘く、「スパイ天国」とまで言われることがあります。
しかし、ずっとこうであったということではないようです。
江戸時代には「密偵」「間諜」というものが非常に多かったというのが事実です。
また、「密告」ということも頻繁に行われました。
こういった社会構造を固定化するために「五人組」「隣組」などといった制度も作られました。
密告社会、そして連座制というものが強く日本の社会を縛ってきました。
これが、「窃盗が少ない」社会であった理由かもしれません。
江戸時代には窃盗でも非常に重い刑罰を課せられました。
「10両盗んだら死罪」というのは有名です。
さらに、盗賊の家族係累まで罪に問うということも行われました。
これが、窃盗を防ぎその結果として鍵の要らない社会を作ったのかもしれません。
なお、このような強い絆(というと美化したように聞こえますが)の社会は見る間に崩れてしまいました。
その結果、窃盗が横行する社会となったのですが、まだ「鍵を掛ける」文化への移行は進まないようです。
それが、治安悪化の要因かもしれません。
まあ、海外旅行の時には注意しましょう。というだけがこの本の趣旨ではないようですが。