著者はオウム真理教の初期の頃に参加しだし、しかしそれほど真剣な修行もしていなかったので平信徒のままで最後まで過ごしたのでさほど悪辣な犯罪には加担しないで済んだという経歴の方です。
オウムのような新興宗教をカルトと呼びますが、そのようなものが次々と出現してはある程度の信徒を集めるということが続いています。これにはみな同じような動機があるのではと考え、それをご自分のオウムでの実体験に当てはめて書き綴っているというものです。
著者は高校生の頃からヨーガなどを通して心理的な超常状態になることに興味を持ち、その当時広まりつつあったオウム神仙の会に触れるようになったそうです。そして、大学入学後にもオウム真理教のセミナーに参加する機会があり、そのまま入信することとなりました。
しかし、内心ではどうも信じきれないところがあり、幹部になっていく他の信徒のように麻原に盲従していくという気にもなれずに修行にも身が入らず、かといって脱会するということもなく、なんとなくついて行ったと言うことです。
信じてしまう人々によくあるのが、「ヨーガやチベット密教に興味がある」とか、「絶対的存在についていきたい」、「今の社会に不満がある」「社会や地球の役に立ちたい」といった動機ですが、著者もこのような気持ちから始めは参加してしまったようです。しかし、初期からの信徒であったために、麻原や幹部の裏の顔にも接することがあったために不信感を抱きながらの信徒生活だったとか。
また、極めて過酷な修行もあり、その肉体的な拒絶感もあったために妄信して犯罪にも加担した幹部とは異なる結果となってしまいました。
今でもちょうど裁判の報道が続いており、死刑囚となった人々が証言するというニュースも流れていますが、それらの人々の名前も数多く登場します。まだ過去の話とはなっていないものです。
イスラム過激派集団というのもこういったものと近いものがあるのかもしれません。