著者の枡野さんは曹洞宗の寺院の住職ですが、庭園デザイナーで大学教授でもあるという方です。
日常の生活ではイライラが溜まり、ついつい怒ってしまうということも多いでしょう。
しかし、修行を積んだ僧侶はすぐに怒り出すということは無さそうに見えます。
著者も若い頃はどちらかといえば短気な方で、すぐにカッとなることが多かったそうですが、曹洞宗大本山総持寺で修行をする内にイライラする事も少なくなったそうです。
とはいえ、誰もが禅寺で修行をするわけにも行きません。
それでは、イライラを少なくすることは難しいのか、それは禅門の言葉を知っていけばできるかもしれないそうです。
技術の進歩や産業の発達で、人間はいろいろなものを手に入れ、便利に快適に生活を送ることができるようになりました。
しかし、一方でそのような社会に適応するのは非常にストレスの大きいことになってしまいました。
いや、適応できている人などほとんどなく、なんとか付いていくだけでもストレスだらけです。
ゆとりなど何にも無いような生活で、様々な事柄に怒りばかりを感じてしまいます。
仏教では人間は誰でも「仏性」を持っていると考えます。
仏性とは悟りを開いた仏様と同じ性質のことで、それが誰にでも隠れているのです。
しかし、自分の周りを見回しても、そのようなことが信じられないほどの人ばかりです。
いつも不機嫌な人、周囲の迷惑など考えない人、周りをわざと傷つける人など、しかし、そういった人でも多くの煩悩の底に仏性はあります。
この本では、「怒らない人になる禅の習慣」「怒りを消し去る禅の作法」「人生が変わる怒らない生き方」と題し、色々な状況下で自分の心をコントロールし怒りを消し去るということが説かれています。
まあ、そちらの詳細は興味のある方は実際に本書を読んでもらうとして、感想を。
怒りを収めるのは自分の心の持ちようということが多いのでしょうが、世界を崩していくかのような人々に対して怒りを感じずにどうすればよいのでしょう。
トランプやプーチン、習近平に本当に「仏性」があるのでしょうか。
もちろん、それと比べればはるかに小物ですが安倍にも絶対に仏性はないでしょう。
かつての禅僧たちも、社会の絶対悪に対しては立ち向かっていった人々も居たはずです。
彼らの怒りというものは、もちろん凡夫のつまらぬ怒りとは比べ物にならないでしょうが、その違いというのはどこにあるのでしょう。
毎日、ニュースやテレビを見る度に怒っている私でした。