2024年問題と言われてきた、バスやトラックなどのドライバー不足の問題ですが、言われ続けてきた割にはほとんど対策も取られないまま影響が表れてきました。
貨物の取扱量減少が危険だと言われてきたのですが、どうやらバスの運転手減少の方が先に表れてきたようで、バスの便数削減や路線廃止といったことが実施され始めました。
タクシー運転手の減少で乗ろうとしてもタクシーがいないという事態もあちこちで表面化しています。
この原因は運転手の労働条件の規制強化から長時間労働が制限されるということのようですが、そのようなことはそもそもあってはならなかったことであり、それを理由に持ち出すこと自体情けない話です。
その対策が必要でそれをしなければ大変だという警鐘は鳴らされ続けられましたが、実際に何らかの効果的な対策がされたということは無いようです。
よほど日本には責任をもって政治に当たるという人間が居なくなっているのでしょう。
このような例は他にも無数にあります。年金問題、人口減少対策などなど、こうなると分かっていても何もできない、やろうともしないのが政治・経済界の中枢に座っています。
そもそも(”そもそも”話ばかりになりますが)物流コストというのは非常に重いものでそれを何とかして少なく押さえることが経済的にも重要なものでした。
しかし、ある時点からその費用が下がり続けていったように見えます。
その多くはそれを担うドライバーたちの給与を下げ続け、長時間労働を激化させることで賄われました。
そのような環境ではドライバーたちの離職が続出するのも当然でしょう。
輸送物流というものはまだ当分の間(無人運行が当たり前になるまでは、もしもそんな時代が来るならの話ですが)、非常に多くの人の労働を必要とするでしょうし、それにかかる人件費も考えなければなりません。
それを低く押さえてきたのが今の人手不足につながっているならば、コスト構造を抜本的に見直し物流コストにかなりの費用を見込まなければならなくなります。
トラック運送費の値上げを運送会社が荷主に申し入れれば「代わりの業者はいくらでもいる」と断るということができなくなるということです。
そうなれば今の物価上昇基調はさらに激しさを増し、インフレ状態に拍車がかかるでしょう。
それができなかったのがデフレだったということでしょうが、もはやそのような時代ではなくなります。
しかしドライバーがいなくなれば運行もできないとバスの便数削減がすぐに実施されるというのも困った事態です。
公共交通というものを民間任せにしておくとどうなるか。
もう一度「公共」ということの意味を考え直すべきでしょう。
効率化だけを目指して民営化を続けてきた公共事業ですが、他の事業でもこういった事態は続出する危険性があります。
ネット通販の増加ということにも影響が出るでしょう。
これも「送料無料」という実際には実態を隠した謳い文句の横行だったのですが、とてもそんなことが続けられるわけもありません。
商店に買いに行くのが普通だった商品も自宅に届けさせる、こういった行為は非常に高くつくというのが当たり前の話です。
大型トラックで大量にスーパーに納品すれば良かったものを一つ一つ自宅まで運ばせる。
それがとんでもない贅沢で高価なサービスだというのが当たり前のことです。
常識的な社会に戻っていくのかもしれません。
まあ、言ってみれば「送料無料」という欺瞞が化けの皮がはがされることになるということでしょうか。