爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「美の考古学」松木武彦著

これまでの考古学、歴史学では発見された遺物の利用法とか製造法、そしてその発展といった方向ばかりが重視されてきました。

そこに欠けていたのが「美」という概念です。

縄文式土器弥生式土器といったものを見て、それを古代人はどのように感じていたのかを想像してみると、そこには確実に「美」という思いがあったに違いありません。

その方面から考えていくとこれまでの考古学とは違ったものが見えてくるということです。

 

縄文土器も1万年前くらいのものではシンプルな粘土の帯を水平にめぐらせたり、細切れにしてまばらに張り付けるといった、素朴な段階のものでした。

それが5500年前以降になると積極的な表現が見えてきます。

火焔土器や水煙土器といった目を見張るような形状のものが出土しています。

これらは決して眺めるだけの目的で作られてはいません。

その出土状況を見るとススやコゲが付着したものもあり、実用で使われていたことが分かります。

こういったものは「複雑段階」と見ることができます。

それが徐々に「端正段階」ともいえるものに代わっていきます。

弥生土器となると非対称や不連続といった土器の自然形に逆らったような造形は影を潜めるようになります。

これは決して実用本位になったということではなく、美というものの求め方が変化したのでしょう。

 

弥生時代に入ると大陸から金属器が入ってきます。

銅剣などのものですが、その造形を真似た木や石の剣というものが作られます。

金属には直線や正円など、他の素材では作りにくい造形があるのですが、それを木石で形だけ似せることがありました。

こういったものはもちろん剣としての実用性はありません。

やはり祭祀などのために作られたのでしょう。

なお、さすがに富裕層は金属のものを使っていたようで、木石製のものが出土するのは少し小さい墓からのようです。

 

古墳も作られた当時は色とりどりの石材を敷き詰められていました。

その状況を再現するということが各地で行われており、神戸市の五色塚古墳を始め宮崎県西都市の西都原100号墳、高崎市の保渡田八幡塚古墳などに見られます。

そこには強烈な美意識があったのは間違いないことでしょう。

そしてどうやらそれは日本各地で同じように存在していたようです。

それはその時期以前には見られないことでした。

その頃から意識の上でも日本が統一されたのかもしれません。

 

美からの考古学、なかなか証拠も集めにくいものでしょうが、想像するだけでも面白そうです。